例外は別で

サロン記事抜粋
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時代に合った優しい文化や優しい制度を作りたいと思っています。
その全てを国に期待するのはさすがに酷なので、民間でやれることは民間で。

そんな中、皆さんと一緒に文化や制度を作る上で、皆さんと共有しておきたいことがあります。

それは「例外の取り扱い方」についてです。

「 外形と例外は別で議論しよう」というのは、米山議論が論破に狂ったひろゆきサンを諭す時に使った名文句なのですが、僕は「制度を作る時の基本姿勢」がこの言葉に集約していると思っています。

「医師の数を、そろそろ人口割で配置することを考えるべき」と提言した米山議員に対して、が、「病院まで2時間以上かかる人は別だから『知ったこっちゃない』になるんですか?」と噛み付いたわけですが、ここで、「 外形と例外は別で議論しましょう。『 例外を見捨てる』というわけではなくて、まずは制度の概形を考えたうえで、例外的なところを考えればいい」と米山議員。

すべてのサービスにはリソースの限界があるわけだから、「まずは80~90%の人をカバーできるサービスを作り、そこから漏れた人を別途対応する」としないと、とても回りません。

ここに関しては異論も無いと思うので、ここで、これ以上の説明をする必要は無いかと思います。

そんな中、昨日のコメント欄で、「たとえば… 生まれたばかりの双子の赤ちゃんを抱えていて(膝上席が2席必要)、更には、お爺ちゃんとお婆ちゃんが着いてきて、更には、大人席が○席が必要で、更には、子供席が○席必要な家族がいた場合だと今回の制度ではカバーしきれなくないですか?」というコメント欄がありました。

ぶっちゃけ「それなら2グループに分かれて座って(購入して)ください」といったところなのですが、「2グループに分かれるのが、どーしても嫌!いろんな事情があってムリ!」という大家族がいた場合、おっしゃるとおり、今回の制度ではカバーしきれないんです。

ただ、問題は「そんな家族が、一体どれだけいるの?」という点です。

おそらく、そんな大家族は例外で、あまり多くは無い。
ただ、「まったく無いから無視っ!」というわけではなくて、そんな例外があったら、その時に対応すればいい。

例外をカバーできる雛形を作ってしまうと、(例外なんて星の数ほどあるわけだから)稼働しない部署が星の数ほどできてしまって、結果、お金も人も回らずに、誰も救えない制度ができあがってしまう。

それともう一つ。
#ここは特に皆さんと共有しておきたいです

「例外は自己主張であるべき」だと僕は考えます。
「もし、こんなケースがあったらどうするんですか?」を言い出してしまうと、例外は数千、数万とあるわけだから、待っているのは無駄にデカくなってしまった制度の空中崩壊です。

憶測で例外を挙げることは、「何の意味もない」とまでは言いませんが、あまり建設的じゃないんです。

ただ繰り返しますが、「例外は切り捨てる」というわけじゃないんです。



すごいわかるが、
意外と自分でもやっちゃう。
改めて勉強になる。

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