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人と会えるということ
学生時代にお世話になった大学の研究室の職員さんが癌で亡くなり、お通夜に行ってきた。担任の先生が亡くなったとき、学科の紀要に追悼文を書いて欲しいと連絡をもらい、電話で何度かやり取りしたのが最後だったので、そこからもう三、四年経っている。
斎場では、誰かの葬式の時ばかり顔をあわせる学生時代の同期生や先生方がいて、この前の別の葬式のときも同じ話をしたなぁ、と思いながら、お葬式ばかりじゃなく何か楽しい会でも会いましょうね、と言いあって別れる。たぶん次の誰かの葬式のときも、同じことを言いあうのだろう。
奇しくも今日は東日本の大震災から7年目になる3月11日で、何年ぶりであろうと通夜の席であろうと、人と会えるということの重みを噛みしめる。今日会った人たちと、また同じようにお互い元気で会えるという保証なんてどこにもないんだなぁ。
学校や職場の人間関係に悩みがあったり、家族と折り合いが悪かったり、なんとなく喉の奥に魚の小骨が刺さったような居心地の悪さを抱えながら人の間で過ごしている人は少なくないと思うけど、人と会えるということは、それだけでかなりすごいことなんだ。
もちろん、だからみんなと仲良くしましょう、などという綺麗事を言うつもりはさらさらなくて、ただ、それが良い出会いでも腹立たしい腐れ縁でも、人と会えるということは、何かものすごい天文学的な確率の問題を乗り越えて起きる出来事なのだ、ということだけは、なんとなく心に留めておいてもいいんじゃないかなと思う。それを大切にするにせよ、捨てて行くにせよ。
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