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第1章:小学5年生で行ったオーストラリア。言葉が通じず鬼ごっこで交流。

自分史の第1章。

木暮菜津紀(こぐれなつき)
1992/07/09 埼玉県出身

私は自分の名前がとても好きです。

「なつき」はとても自分に合っている気がするし、木暮という苗字もあまり人と被らないし、なんかカッコイイ。菜津紀という漢字も珍しいですよね。

変換ですぐに出てこない漢字なのでだいたい友達もラインなどで平仮名で「なつき」と打って来るのですが友人でひとりだけいつも「菜津紀」と漢字で打ってくれる子がいます。実はとても嬉しいです。

子供の頃は、とにかく運動神経がよかった。(この話長いのでサラッと読んでください)
走ってみたら足が速くていつもリレーの選手で小さいのに足の回転が速いからチーターって呼ばれた事もありました。小学6年の時によく分からず出場させられた陸上大会で言われるがままに走り幅跳びに出場したら全然練習してないのに県で7位。先生達もびっくり。他の人は陸上クラブでかっこいいユニフォーム着てるのに私は大きく木暮って書かれた体操服で表彰台に上がって恥ずかしかった。お前は陸上の才能がある!陸部に入れ!と言われたけど走るのがあんまり好きでは無かったので却下。
中学生の時はバスケ部に入りたかったけど先輩達が怖そうだったので優しそうなソフト部に入部。ものすごく強いチームではなかったけれど、なぜか県の選抜選手に選ばれる。先生にもお前は補欠だ、オマケだ、と言われて呑気に参加してたら、選抜合宿の練習の時にとても調子が良く、バンバン打ってたら本番でまさかのレギュラー。ベンチをあたためる気満々だったので名前を呼ばれても気付かず、直前にレギュラーは木暮だぞ!!!と叫ばれて目が覚める。しかも花形のショートのポジションで私のところにボール来ませんように、と願いながら守った。結果、エラーはしなかったけどヒットはなし。
高校に入る時もソフトが強い学校から話が来たり、先生に勧められたけど、普通の高校生活が良かったのでお断り。
今なんか中途半端。それは運動神経の良さは自分で努力して勝ち取ったものでは無かったからかもしれない。もちろんソフトボールの練習は沢山したけど自分のやる気の限界が見えていたので運動の道に進むのはやめた。

えーっと、タイトルに書いた通り私が小5の時の体験を話したかったのに気付いたら高校まで話が飛んでしまいました。すみません、一度戻します。


今の私に繋がっているな、と思う1番古い体験は小学5年生の時にオーストラリアに2週間滞在した時の事かなと思います。

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私の母は子供向けの英語の先生で自分の子供達が小さい時に海外経験をさせたい、と思っていたらしく、私が小5で弟が小2の時に母も含めて3人で2週間オーストラリアに行きました。

向こうではホームステイしつつ、平日は学校へ。ホームステイは親子3人で同じ家に滞在したけれど学校のクラスはバラバラ。現地の同い年のクラスにポンと投げ込まれました。

私は全然喋れませんでした。

日本の学生が来ているので日本の話をしましょうー!という授業もあり、剣道についてのトークも。

「剣道は知ってる?」
「...Yes.」
「なつきは剣道したことある?」
「...No.」

質問を理解して首を縦か横に振る事で精一杯で会話はすぐに終了。

よく分からず時間が過ぎていく中で唯一楽しかったのは休憩時間に外で遊ぶ事でした。
とても優しい現地の子供達は一緒に遊ぼうよ、と誘ってくれてみんなでグラウンドへ。何を話しているのかは分からなかったけど鬼ごっこをしている、というのはすぐに分かりました。

ここで私の見せ場です。

冒頭にも書いた通り私は足が速かったので私が走り始めると「おー!!!」「なつき足はやいー!」と喜んでくれて、それから毎日のように遊びに誘ってくれるようになりました。
そしてなぜか一緒に走ろうぜ!と男の子がまわりに集まってくるようになりました。私はこの時ボーイッシュな見た目で、男の子と張り合うくらい足が速かったからでしょう。

子供ながらに言葉が通じなくても一緒に遊べる事を知って、ワクワクした事を覚えています。

次に楽しかった時間はランチタイム。私はホームステイ先のマザーが作ってくれたランチボックスを持参。

サンドウィッチ、りんごが丸ごと、あとおやつにティムタム(有名なチョコ菓子)

まず、リンゴを丸ごとかじるのに少し抵抗がありました。日本だとカットするのにここでは丸ごとかじるの、、?
でもみんながかじっているので真似をしてみる。

また、家ではマザーがいつも夕飯後にアイスクリームをくれるのですが、日本のように一個づつ小包装されているアイスではなく、でっかいアイスボックスからスプーンですくってお皿に盛って、食べます。
ここではみんなそうやって食べるの、、?

家にはプールが付いてる。
みんな自分のプール持ってるの、、?

家の前にはバスケットゴール。
みんなバスケするの、、?

私はこのオーストラリア滞在で『文化』にはじめて興味を持ちました。
世界共通の同じ文化、そして違う異文化。

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言葉は通じなくても文化は感じる事が出来ました。

そしてオーストラリアの自然の豊かさにも感動。

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休日に船に乗って無人島に行き、ダイビング。と言っても腰くらいの水のところに魚がたくさんいたので一緒に泳ぎました。船からクジラも見た。
野生のカンガルーにも会いに行って、早朝の気球にも乗って、モノレールも乗った。

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今まで見た自然の規模とは全く違って圧倒されました。その時ガイドをしてくれた現地に住んでる日本人に少し憧れの気持ちも。こういう仕事いいな、とぼんやり思っていました。

小学生の頃に書いた将来の夢はまわりの様子を見つつ、「ピアノの先生」「パン屋さん」。

けれども中学生になってから自分で調べる力が付き「レンジャー」という仕事を知りました。

レンジャー(自然保護官)
国立公園等で自然環境の保護をするために活動する職員。具体的な仕事内容は、国立公園の管理や外来種対策、野生鳥獣の保護、ペット動物の愛護、エコツーリズムといった自然とのふれあいの推進等の業務など多岐にわたる。国家公務員採用試験に合格し、自然系技官として環境省に入る必要がある。

静かに心の中で将来はレンジャーになりたい、と思っていたけれど、その時はまだ選択肢の一個としか思っていなかったのであまり意識はせず、そのまま月日は過ぎていきました。

高校は部活に明け暮れ、友達と遊び、勉強も普通。

そして、大学。進路をどうしようか。
学びたい分野を考えた時に思い出すのはこのオーストラリアでの体験でした。

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