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【映画】34丁目の奇跡 (The miracle on 34th street)

一昨日、昨日にかけて「34丁目の奇跡」という1947年のアメリカ映画を観た。自分が人生の中で観てきたものや、文化に対する沸々とした思いを客観的に認識するいい機会だったので、メモする。

簡単にいうと、本物のサンタさんが、おとぎ話を信じない女の子に出会い、ひょんなことから裁判にかけられ、最後には信じることの尊さを教えてくれる話だ。普通にいい話そうだような。

舞台はNYの恒例行事、Macy'sのThanks givingのパレードから始まる。これ、ちょうど2016年の秋に私NYにいたんだよな、ボスキャリを終えてボストンからグレイハウンドに乗って、一週間滞在した時にやってたんだ。ただ、一緒にきた友人が寝坊して、観に行かなかった。要は、ちゃんと当時のリアルなアメリカが映されてて、舞台設定が時代そのものを表してたんだ。

ちなみに、今年の年越しはポートランドにいたわけだけど、元旦の朝テレビで、同じストリートの元旦パレードが放映されていた。なんか、50年以上もたつけど、こういうの好きなんだねアメリカ。だって、ディズニーのエレクトリカルパレードも一緒やん。そして、一応アメリカも”歴史”がちょっとずつ刻まれてるんだね。文化というか。ただ、あのアメリカ様でもずっと巨大オブジェの陳列を毎年やってるわけだから、文化が更新されてないよね。いまは手作業で作られたオブジェより、比較的安価なフロートとかが多いから、ある意味変化はあるけど、消極的更新。いや、これがちょうど良いのかもしれない。

ところでなんで巨大オブジェの陳列がここまで人気なんだろう。確かにお金と技術の結晶だし、創造物(おとぎ話とか)をリアルな世界で形にしたものだし、なんか音楽とかも鳴ってて楽しげだよね。日本はお祭りでねぶたが一番近いかな。お神輿は神様をみんなで運ぶやつ。なんか大きなもの、手の込んだもの、みんなで感じられるもの、あんぽんたんみたいだし、当たり前だけど、そういうものが嬉しんだよな人って。可愛らしいじゃないか。

多分どんなにデジタル技術が発達して、チームラボ的な奴が人々の注目を集めても、少しアナログなものの方が、人間の手が加えられた温かみだとか、童心を思い出させる受け取りやすさとか、そういう大事な塩梅があって、結局文化としていつまでも残るんだろうね。親しみというか情報量の適切さ。

どんなにすごい創造物でも、その背景なり構造なりがちっとも理解できないと、ただ”すごい”、”迫力があった”、”かっこよかった”という印象で終わって、それ以上に思考をぶちまけてくれるきっかけにならないのが今の世の中だと思う。いつぞやからかチームラボアンチになった私の持論。


何の文章かわからなくなってきた。

映画鑑賞してる中で、特に投げ銭のように吐露していた言葉は”まじ資本主義”。クリスマスの話だけど、この卑しい部分に焦点を当てていた点は素晴らしいと思うし、大人の都合の良いうそと、子ども心を守るいい大人ぶりたいところのアイロニーがよかった。そう、私アイロニーが好きなのだ。

文章が色々破綻してきた。

結局、何が言いたいかというと、想像とかおとぎとか、そういうものの真実味とかを問うのはナンセンスな訳。それらを実証したり研究すること自体は夢があってそれはそれで良いと思う。けど、断固として、想像やおとぎ(=飾り)を否定することは、つまり、夢とか希望とか可能性を否定することであり、実存主義(正確に理解できてるかわからん)というか、目に見えるもの実感できるものの価値を自ら高める可能性を自分で捨てるようなものだ。要は、何で生きているのかと聞かれたら、きっと、今という時間軸でしか答えられなくて、単に私はそういう人が苦手。勝手に人生つまんなくしてろと思う。

岡本太郎の作品自体は好まないが、考え方は賛成するところが多いので、勝手にヒートアップして意味わからなくなった文章を一旦切り上げます。



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