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和樂webで掲載~余命3年。被爆しても救護を続け、平和を訴えた医師永井隆の人生

1945(昭和20)年8月9日、長崎市に世界で2例目の原子爆弾が投下。自身も被爆しながらも救護を続けた医学博士永井隆(1908~1951年)の生涯を記事にしました。


永井博士の記念館は2か所あります。1つは医師になりその生涯を終えた長崎市。もう1つは、高校卒業まで過ごした島根県雲南市。雲南市の資料館が2021年リニューアルオープンをしたことを知り、興味を持ちました。

雲南市永井隆記念館の方には、お話を伺い、画像を借用いただきました。ありがとうございました。

実は調べ始めた当初は、辛くなりました。生没年を前述しましたが、43歳で亡くなったのです。さらに書くと原爆投下の2カ月前に白血病に罹り余命3年と宣言され、原爆で妻を亡くし、2児のシングルファザーとなったのです。私より若いのに……。


これまでの記事では、長生きされた方々を取り上げていたので、特に。
書けるのかな?少し不安になりました。

でも、
白血病に罹った上に原爆を体験した医師は自分しかいない。と、自らの肉体を観察・実験の対象にして向き合う強さに惹かれ、書き進めることができました。

病のため、長崎医科大学教授の職を辞した後は、文筆生活に入り短期間で多くの著書を残しました。ここにも心に残る言葉やエピソードがあるので、別の記事で紹介したいと思います。


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