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和樂webで掲載~原敬首相と田中舘愛橘博士の友情

物理学者の田中舘愛橘博士。同じ岩手県出身の原敬首相とは終生仲が良かったようです。

写真は、第19代内閣総理大臣原敬。日本初の政党政治を結成。爵位を持たなかったため「平民宰相」呼ばれました。(国立国会図書館デジタルコレクション収載)


藩校で学んだ後もお互い東京に出て来て、交流を深めました。愛橘博士が海外に行ったときも会ったりしたようです。

愛橘博士は度量衡法(尺貫法をメートル法に統一)の改正に尽力しましたが、それを支援したのは原敬でした。

愛橘博士は貴族院(参議院の前身。皇族や貴族の他、有識者が期限付きで在位)の議員でしたが、一学者であるため法律を改正する力まではありません。原敬は、自身が首相になった際に度量衡法の改正を実現したのです。
2人は手を取り合って喜び合ったことと思います。しかし。

その半年余り後1921(大正10)年11月、原敬は東京駅で暗殺されました。

愛橘博士の悲しみは計り知れないですが、私には度量衡法改正は、原敬は親友愛橘博士に贈った最後で最高のプレゼントだと思います。

終戦後の1951(昭和26)年、原敬三十年記念追悼会が開かれ、愛橘博士は参加。追悼文を読み上げ、最後にこう結びました。

「君がいなくなってもう三十年になる。その後の日本は君にどう映ったのだろうか。近い内に黄泉の世で語り合えるのを心待ちにしているよ」
出典:吉田春雄『メートル法と日本の近代化』(現代書館、2019年)

その半年余りの後、愛橘博士は95歳で亡くなりました。

月並みですが、友だちがいるっていいなと思います。生涯に1人、出会えるような生き方を私もしたいです。


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