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『光る君へ』現代は生まれた場所が全てじゃない

『光る君へ』からの所見再び。

2024年3月31日、4月7日の回で、まひろ(紫式部)は、文字が読めない庶民がそのために冷遇される現実を知ります。そして一人でも文字が読める人を増やそうと、子どもに読み書きを教えます。でも、子どもの親はまひろに対して「余計なことするな!」と立腹。そして子どもには、「お前は一生、畑耕していたらいい!」と。

前回の投稿と引用箇所が同じですが、別の視点から思うことを。

平安時代だけではなく、江戸時代が終わるまで「生まれ」で「ほぼ」一生が決められるものでした。
現代とはモラルも価値観違うので、悲しいけれどこういうものだと受け入れることは大切です。

でも。現代でも程度は違うけれど、
「お前は一生、畑耕していたらいい!」→「高校卒業したら、一生地元で働いて暮らしていたらいい!」
こういう状況ありますよね。

私は、このように言われたことはありませんでした。

両親は若いころ東京に出ていたことがあったのが、影響していたのでしょう。さらに言うと、祖父は当時としては破格の教育を子ども達(母、叔母、叔父)に施しており、母と叔母は東京の短大を、叔父は東京の大学を卒業しました。
そんなわけで、「一度は地元を離れなさい」と言われました。でもその裏には、「数年(大学卒業くらい)で、地元に戻ってきてほしい」という想いがありました。

しかし私は「絶対に戻るものか!」と思っていました。

嫌なことばかりではないけれど、地方の閉鎖的なところがとにかく苦手。
親も「戻ってこい」と言っても、娘が仕事先を見つけてしまえば何も言えず。
結局逃げ切って家庭を持って、現在に至ります。

自分の恵まれた環境に、感謝せずにはいられません。親にも。
対して、子どもの意志に反して土地に縛り付けるのは、毒親以外の何者でもないと私は思います。
地域の活性化のために、人は生きているわけではないから。

令和の現代は、生まれた場所が全てじゃない。生まれ育っただけの理由で、地元を賞賛する必要はありません。否定したってかまわないのです。

こんな私は傍から見たら親不孝かもしれないけど、間違いではなかったなと実感しています。

前回はこんなこと書いていました。


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