ワクチンやら薬や農業や果ては僕ら自身の生き方とか

循環。例えば人体には自然治癒というメカニズムが備わっている。自然にも修復力がある。例えば野草の生い茂っている野原をキレイにするとしよう。草刈りをして整地する。だがその後無管理で一年放置するとまた元の野原に戻ってしまうだろう。かくも不思議に思いもするがこの世界の全ては宇宙から僕達自身まで本来はそう云うメカニズムなのだろう。設計者や制作者が存在するのだとしたら天地から生きとし生けるものまで全てが無駄なく配置されそのような形態で存在しているというのがどれ程精緻で壮大なことなのだろうと思う。さて人知人智とは何なのか。科学だろうが学問だろうが人は賢くなったと思ってもそんな天地から人体までの森羅万象の設計者から見れば僕らはその解明まで未だ程遠い位置にいる。文明の発祥から人類は森羅万象の設計者(この設計者に敬意を表して神と崇めて来たのだろう※以後神と称します)に対して都度都度に蓄えた稚拙な知識や技術を使って神の定めた適所適生に抗って生存してきた。人の行い全てがそうで現在も未だその継続中である。そう考えると産業革命後はその稚拙な抵抗が強引さと悪質さを増し冒頭記した野原で言えば草を定期的に刈り取るだけから毒を撒いて二度と野草が茂らないようにしそこに存在して他の生態系とバランスを取っていた生命を根絶やしにするだけでは飽き足らず今では土壌改良と称して土壌まで改変して他の生物を育成し周囲とのバランスを破壊したようにまだバランスが取り戻せる可能性のあった稚拙な技術の使いようから取り返しのつかない程強引な技術を発明し荒らしているように思えてならない。それは野原にとどまらずすべての人の業に及び今では僕らはきっと神から見れば稚拙な技術の無理くりな帳尻合わせの享受で生きているのだ。とは言え僕自身そんな文明社会で生きている訳でそこから抜け出して生存することすら叶うべくもない。だから全てを否定する気には成らないし拒絶できるわけもない。ただ医学も化学も万能で今の方向での進歩は正しい方向でやがてその進歩が加速していけば全て解決出来る神をも超えられるという考えではなく僕らは小さな羽虫から宇宙にまで至る全てが本来そういった循環と死滅再生のメカニズムでデザインされていてそこに抗って生きていると認識だけでもしておきたい。そして科学的な解決方法はそれら神のデザインからはみ出た部分を強引に解決する一時的な手段を取っているに過ぎない事を脳裏の片隅にで良いから留めて置くべきなのだろうなと思う。何故ならそれによって自分の健康まで含め本来のデザインからかけ離れて機能不全の起きる改変を増やして取り返しのつかない状況にならないようにしたいと思うから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?