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【ソウウツ通信】躁鬱たぬきの処世術(まとめ)【19】

 昨日の夕方、たぬきは知人から草刈り機を借りれたので、畑の草刈りに行ってきました。昨日は5月なのにやたらと暑かったですね。
 たぬきはおとといと同様、昼間は涼しい古民家で昼寝でもしてようかと思ったのですが、食糧が底を尽き掛けていたのでやむなく近所のスーパーに買い物です。
 ヨーグルトとキャベツとネギを2束。肉も欲しかったけれど、この暑さでの輸送はおっくうだったのでやめました。
 たぬきは薬味としてのネギが大好物なので、家に大量に常備していないと発狂します。・・・と言っても病的な感じでは無いですが。
 たぬきは元々シュールな冗談が好きなのですが、躁鬱人という精神的な病を患っていると本心を言っているのか、冗談で言っているのか誤解されることがままあります。
 以前、たぬきは通っているメンタルクリニックの紹介で遠方の大きな精神病院がやっているデイケアに電車で通っていたのですが、スタッフの方に「気を付けて帰ってね」と言われたときに「ホームから飛び降りないように気を付けます」と冗談で言ったら、「たぬきさん!??」と本気で心配されてしまいました。
 自己卑下力にてシュールな笑いを作り出したいたぬきにとっては冗談を言いにくい感じになってしまいました。残念無念。
 なので発狂はしません。ネギが異常に好きなだけなのです。
 ここ最近はお好み焼きにハマっていて、なんでも一食につき、1~2本はネギを使うので、どんどんストックが無くなって行ってしまいました。
 ネギは初夏のころが経験上あまり出回らなくなって高価になりかけるので、たぬきは6~7月あたりを神無月ならぬ「葱無月」と呼んでいます。恐ろしい季節になります。
 と言うことで、ネギストックなどもろもろ買い物に行き、夕方になって涼しくなったころに畑の草刈り。日暮れまで1時間ちょっとやりました。そして帰ってまたお好み焼き。ここ1週間、晩ごはんはお好み焼きです。まだ飽きません。美味しいです。
 たぬきはなんでもハマると飽きるまで永遠と同じことを繰り返します。できれば度を過ぎるほど繰り返せれば「極める」という段階にまで到達できるのですが、その前にたぬきは飽きてしまうので、ハマったものは平均よりちょっと上・・・止まりになりあまり食い扶持とかの役には立っていません。
 だけれど、【18】で書いたように、いろいろ組み合わせれば唯一無二の存在になれるので、合わせ技で一本!!を狙おう!というスタンスで頑張るつもり。
 ってことで、思いついた先から私、たぬきの躁鬱病に対する処世術的なものを書いてきましたが、思いついた先から書いてきたわけですし、最初の方を見返してみると、まだあまりノってないし、狙いも定まっていなく、ブレブレ。話題も鬱状態の時、躁状態の時、ふつうの時、などで分ければ分かりやすかったのに、それも適当でございました。
 だって、ずっと鬱の時とか躁の時ばっかり続けて書いていたら飽きちゃうもん。
 と言うことで、ちょろっと見直してみるとなんとも言えない気分になるわけですが、だからといえ、書き直すのは面倒くさいので、この勢いのまま行こうと画策しているわけです。それでも、さすがにもう終盤なので、最後にまとめてきなものを書いて行ければと思い、章立てしたわけです。
 20章近く、3週間に渡り書いてきたのですが、なんだか矛盾点があるような気もしています。その時に思ったという点では事実なのですが、別のテーマで同じことを考えてみると、また違った考え方が浮かび、その結果矛盾しているのかな、と思います。
 それに3週間前に何書いたのか、読み直しているわけでは無いので覚えてないですし。
 それにそれにこの文章は、躁鬱人たるたぬきの経験をもとにした、躁鬱人が人生を面白おかしく生きるための今現在たどり着いた処世術を書こうと試みたものです。
 躁鬱人は人それぞれ。たぬきの処世術が必ずしも役に立つとは限りません。それでも、何かの参考になってくれればうれしいなと思い書いているわけです。
 なので、100パーセント同じ生き方をすれば幸せだ!私を信じなさい。疑うことなく信じるのです。信じる者は救われる。躁鬱人に幸あれ!!・・・的なテンションでは全く無いので矛盾していてもかまわないはずです。
 自分に合っている項目だけ真似してみたり、自分は違うなーと思えば違う楽しい生き方を実践してみればいいのだと思います。(違う生き方はたぬきも参考にしたいので、よかったら教えてもらいたいと思ってます。)
 と言うことで、現在、軽躁状態のたぬきが考える処世術ですが、まずは大きな鬱状態に陥らないことが一番大事だと考えています。
 逆算していくと大きな鬱の前には大きな躁があるので、大きな躁にもならないことが二番目に大事です。
 要は躁鬱人が持ち合わせている大きな波をもう少し小さくする・・・みたいな感じでしょうか。
 そのために、たぬきは何段階もの防衛線を張ったりしています。
 また、防衛線を維持するために、快適な暮らしができるように食い扶持を考えたりライフスタイルを考えたりもしました。
 なので、そのあたりをまとめて書くつもりです。
 章の順番とは別に、項目ごとにまとめていきたいと思います。
 まずは躁鬱の波を穏やかにする防衛線について。

【躁鬱の波を穏やかにする防衛線】
 <①"躁"は気分の頂と頂の綱渡り>
 気分のアップダウンを主治医によく波に例えられる。躁の頂、鬱の谷。 
 躁鬱病のことを良く分かっていない人からすると、鬱は落ち込み、躁は毎日ハッピー♪と思われているらしい。だけれど違う。躁はまるで頂と頂を繋いだロープの上を綱渡りしているような気分である。
 鬱の谷へ落ちたくない、落ちたくない、と細くて不安定なロープの上を内心恐る恐る歩いているのである。もし、落ちたら真っ逆さまに鬱の谷へ落ちることになる。躁の頂が高ければ高いほどその衝撃は大きい。
 綱渡りは必ず落ちる。綱渡りなんて何カ月も続けられるようなもんじゃない。(たぬきは最長6ヶ月綱渡りをしたことがある。)
 なので大けがを避けるために綱渡りをしない。なるべく高い山に登らない、と言うのが大事になってくる。・・・というお話。
 <②鉄は冷(覚)めてから打て>
 そのためには、躁の頂を登りかけのときに、ふと下界を眺めてみるのが大事である。
 つまりは鉄は冷(覚)めてから打て、である。
 躁状態で気分が高揚し興奮状態だったとしても、冷静さが完全に0になっているわけでは無いし、自分が躁状態であることは気づけるはずである。
 何か大きなことをやろうとしているとき、例えばたぬきは突然ボロ古民家を買おうとしたのだが、その段階で人に相談する、計画的なものをノートに書き殴ってみるなどをして、クールダウンをさせることが、孤高の頂に登らない方法であるし、大きな失敗を招かない方法である・・・という話。
 <③あえての充電>
 大きな躁状態に到達する前の予防線として「あえての充電」がある。これは軽躁状態で行うのがよろしい。
 躁鬱人が躁状態の時は、常人の何倍ものエネルギーを使ってしまう。後先考えずに大量消費してしまうことによって、あとあとのエネルギーが足りなくなり、セーフティモードの鬱状態になってしまうのである。
 鬱状態になってからは体が動かないし、気分も落ち込んでるし、躁鬱人全員が可能ならばなりたくない状況だろう。
 そうならないために、「ちょい躁」、つまりは軽躁状態の時にあえて充電して備えるというのが対応策である。
 軽躁状態だと言わば、イイ感じに元気なので充電なんかしなくてもいいよ!って気分になってしまうが、なので「あえて」なのである。「あえて」充電することによって鬱状態に陥ってしまわないように対策を練るのである・・・というお話。
 <④"鬱"は強制シャットダウン>
 それでも色々な状況が重なり、寝たきりレベルの鬱状態に到達してしまうことがある。これはもう体が「休め!」と言っているサインに他ならない。
 しょうがない。
 この鬱状態になるとすべての情報から逃げたくなる。これまで大量に得た知識や経験を整理したいと思っているからだ。
 たぬきはそんな時、墓地に行ったり、山奥に失踪して車中泊で何日も過ごしたりしてるよ。楽しくないけどね・・・というお話。
 <⑤早めの充電>
 そう。寝たきり鬱状態は全然楽しくない。なので、その状態になる前に早めの充電をして、元気を取り戻した方が得策である。
 ただ、急転直下で寝たきり鬱に入ってしまう場合があるので、本当に早め。何なら「あえて」の充電も考慮しておいた方がいい。
 繰り返すようだが、躁鬱人は元気エネルギーの燃費が大変悪い。走っているときはめちゃくちゃ吹かして走り回るので、すぐガス欠して停まってしまうのである。定期的に給油しよう。たぬきは旅とかサウナとか畑が充電機会です・・・という話。
 <⑥虚無感との付き合い方>
 本当はどんな状態でも躁鬱人は生きる意味というか虚無感と付き合っているのだけれど、如実に表れるのが寝たきり鬱状態だ。
 鬱状態で寝ていると、生きてる意味とか永遠に考えてみたりしてしまう。
 人生が本当に意味のないものだと思われてくるのである。寝たきりで楽しみなんて一切無いし。
 ただ、この鬱状態が好転するときに、それらの意味ないものと思っていたことがビビッと繋がり、そういうことだったのか!となることがある。たぬきはだいたいビビッと来た時に鬱が治るのである。
 躁鬱人は無駄だ、意味ない、役に立たない、などの虚無感といつも戦っているが、実は無駄では無いし、意味もあるし、どこかで役に立つはずだ、ということを知っておこう・・・という話。
 <⑦優しさが仇になることも>
 躁鬱人は人の顔色をうかがうことに長けている。長けているから気を張りすぎて疲れちゃうのである。ある程度鈍感力を磨くというか、自分本位で考えてもいいのかもしれない・・・という話。
 <⑧冷静(安定)と情熱(冒険)の間>
 また、躁鬱人は躁状態という色々なものを経験し、なんでも吸収したいし、発散したいという状態がやってくる。この状態は綱渡り状態で苦しい状況であると言ったが、この状態を常に求めていると言っても嘘ではない。苦しい状況の中でも興奮とか高揚があるからだ。
 一方で綱渡りはやっぱり辛いから心の安寧、暮らしの安定を求めているという側面も持っている。
 心がアンバランスなのである。
 別の言い方をすると「刺激を求めるけれど、その刺激にあたりやすい」とも言える。このタイプはなかなか居ないタイプらしい。レアである。
 多分、レアだからこそ出来ることもあるだろう・・・と言う話。

 さて、そんな躁鬱気質のある躁鬱人が、「病とは別に」その気質を活かして楽しく生きるためには?と言うのも【ソウウツ通信】では書いてきた。
 これまた、たぬきという一個人の意見だけれども、まとめてみる。

【快適な暮らし方を実現するために】
 ①安心のハードルを低く保つ
 知人は1000万円あったら仕事を辞めて悠々自適に暮らす!と言っていたのに対し、たぬきは数億円あっても不安を覚える・・・と言った例のようにふつうの人なら安心!と思うすべての事柄が、躁鬱人には不安のレベルになることが多いのではないかいう説。安心のハードルが高いからそのレベルまで達しないと不安に感じてしまうのだ。
 「我、ただ足るを知る」のように安心のハードルを下げることによって、ちょっとしたことで安心し、幸せを感じられるはずなので、そんな生き方目指しましょうよ、ってお話。
 ②個性の掛け合わせ
 世の中、のらりくらりと生きていくには処世力があるに越したことはない。多分、学力でもなく、集中力でもなく、処世力がある人間が一番生きていきやすい世の中になっている・・・というのがたぬきの鬱時の持論。
 そして、躁鬱人は処世力が全然ない。全然ないからこそ躁鬱人とも言える。これはどうしようもない。
 だけれど、人間は取柄とまでは行かないまでも、「平均よりちょっと上」くらいなものなら数個は挙げられるだろう。それらをかけ合わせれば唯一無二の存在になれるはずである。それは処世力の向上にはつながらないけれど、カバーするには余りある存在になりうるよ、って話。
 ③トンズラ力を鍛える
 躁鬱人は逃げ足が遅い。なんなら危険なモノ、コト、とくにヒトに持ち合わせている「優しさ」を発揮してしまい、相手の気を使って自分が嫌な気分になることも多々ある。
 なので、たぬきは全然知らない人によく説教をされる。阿呆である。
 そんな嫌な気分になるのなら逃げればいいし、仕事とか逃げられない立場にいるのなら、逃げられる環境を作ることに全力を投じればいいんじゃないか、って話。
 ④食い扶持の作り方
 躁鬱人は気分の波がある人のことである。どう考えても毎日務める、みたいな食い扶持は無理だ。
 でも、べらぼうに元気な時もあるのが躁鬱人の特徴である。
 それなら元気な時にガッと働いて、寝たきり鬱状態に備えるというのが最も良い方法ではないか。
 これは月単位、年単位でもいいし、週単位で考えてもいい。
 食い扶持の内容は、躁状態の時に浮かぶ大量のアイデアの中にヒントが隠れているかもしれない。それを食い扶持にするのである。
 自分で仕事量を調整できる自営業や農業が向いているかもしれない。
 ただ、お金を稼ぐ以上、鬱状態の時でも一応仕事がこなせる量に仕事量を抑えていくことが大事である。稼ぐ額より、快適な暮らしを優先しよう、って話。
 ⑤空気を読み過ぎる。読み過ぎてピエロになる。
 躁鬱人は優しい、優しすぎると言われる。優しいとは人の考えていることとか感情を読み取ろうと常に努力しているからで、それは結構なエネルギーを消費する。
 どうせエネルギーを使うなら、気の利く人間としてふるまえばいいのに、たぬきは空気を読んだ上で、あえて空気を読まないピエロになる阿呆である。これは悩んでいるけどとめられない。
 シュールな笑いが好きなのが発展して、人を引かせる冗談を言ってしまったり、自己卑下力につながるものもあるのかもしれない。
 これは無理やりプラスに考えるとすると「躁鬱人は空気がよく読めるゆえに優しい。それでいて行動力もある。時には場の空気を読んで、あえて羽目をはずすピエロにもなれる。」素晴らしい人間である、と考えるほかない。
 うん、これは処世術としてはあまり役にたたないな、って話。
 ⑥躁鬱を笑いに変える自己卑下力
 たぬきは人が楽しんでくれたり、笑ってくれるのが自分の幸せにつながる人間である。他人の不幸は蜜の味とはいうけれど、これは嫉妬心からくるものだ。それとは別のベクトルで人の笑顔を見るのが好きなのである。
 たぬきはこれを人を馬鹿にすることで笑いを取るのではなく、自分を馬鹿にすることで実現させようとしている。これが自己卑下力である。
 自己卑下力があると、不運や嫌なことに見舞われたときに「これもネタになるぞ!ラッキー♪」と思えるようになり、不幸な出来事が多少中和される。しかも人に(シュールな)笑いを提供出来ちゃう一石二鳥だ、って話。
 ⑦お金をあまり使わない暮らし
 たぬきは躁状態の時にボロ古民家を買ってしまったのだが、結果的に(ローン返済はあるけれど)住居に困らない状況を作り出した。
 ふつうに新築で一軒家を買うとしたら数千万円の資金が必要だけれど、地方都市のそこそこの立地の古民家などは数百万円で買うことだってできる。
 お金って実はそんなに必要なくても幸せは自分で作れるんじゃないか?たぬきは返済以外にふつうに暮らすのに必要な金額は5~6万円くらいである。それで貧乏を感じているわけでなく、普通に暮らしている。
 物事をお金で考えない、別軸で考えてみるのも快適な暮らしをしていくうえで大事なこと、って話。

 と言うことで、これまで書いてきたことをまとめてみました。
 うん。羅列は読んでも面白くないですね。書いてても全然面白くないです。それに、各章で書いた内容と微妙に違うような気もしています。
 もっといろいろと雑談に飛び、例を挙げて詳しく書いているのが各章になりますので、タイトルを見ていきなりこちらを読んでいる方がいたら、興味のある各章を読んでみてください。
 本当、本当にまとめを書くのは面白くなかった・・・。
 【まとめ】を書いてこの【ソウウツ通信】をしめようと思ったのですが、まとめを書くだけで時間と文量を消費してしまい、面白くなかったので、次の【20】で終わりにしたいと思います。
 なんだかキリもいいですし。
 ただ書き殴って雑談で楽しく終わらせてください。多分、全然躁鬱と関係ないこと書くかもです。
 そんなわけで【19】はこれまで書いた文章をまとめてみましたよ。適当に書いたものを多少は順番を入れ替えてまとめてみたつもりです。繰り返しになりますが、良かったら各章も読んでみてください。
 それでは。

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