非常事態(僕が失明するまでの記憶 16)

第2章 1990

 卒業式の2日語、週明け月曜日の夜だった。アニメ(柔道の天才美少女が活躍する話だ)を見終えた後、トイレに行って電灯をつけても部屋が明るくならないことに気付いた。天井を見上げたが、電球に異常はない。問題は電球ではなく、自分の右目にあった。視野の左上に暗い影が差し、それが本来見えるべき世界を歪ませているのだった。

 4年前の夏の記憶が脳裏を過る。突如として視界を覆った不吉な影。左目を失明に至らしめたあのときと全く同じ見え方だった。

 主治医のY先生の外来は木曜日と土曜日だった。異常が発覚して三日後の木曜日に神戸の病院を訪ねたとき、右目は既にほとんどの視界が影に覆われ、見えなくなっていた。

 Y先生はインドへの長期出張のため不在だった。4月上旬まで日本に戻ってこないとのことだった。

 代わりに診察を担当した医師は、検査の結果を見て厳しい様子で、早急に手術が必要な状態だと告げた。さらに、Y先生の帰国を待っている猶予はないので、直ちに別の病院を紹介する、と。

 紹介されたのは地元の大学病院だった。最初に手術をして、神戸への転院を勧められたあの病院だった。

 「あの病院では治療が難しいという話ではなかったのですか」 家族を代表して僕からストレートな質問をぶつけたところ、当時は難しかったとしても医療は日々進歩している、連絡をとり状況を伝えたところ、受け入れ可能との返答をもらったと説明された。

 話は理解できた。それでも、一度治療を諦められた病院へ戻らねばならないことには釈然としないものを感じた。もしY先生がいてくれれば、恨めしい気持ちを消すことはできなかったが、もはや選択の余地はなかった。

 翌日、大学病院で診察を受けると、家に帰らずそのまま入院することが決まった。状態は相当に深刻を極めているようで、必要最低限の行動以外の安静を命じられた。

 卒業式からまだ一週間も経たない1990年3月23日、僕は病院のベッドの上にいた。予想もしない急激な展開に思考も感情も追いつかず、完全に現実から取り残されていた。俺はどうして今ここにいるんだろう。これからいったいどうなるというのだろう。考えはまとまらなかった。何も考えられなかった。何を考えたらいいのか、さっぱり見当がつかなかった。本当ならもっと悲しむべきなのかも知れない。動転したり怒りを爆発させたりしてもよかったのかも知れない。でも、僕は何も感じなかった。感情の起伏を完全に失っていた。ただ眼前の出来事をやり過ごすのが精一杯だった。