マジックアワー(僕が失明するまでの記憶 13)

 4年生から6年生までの3年間は最も平和でエネルギーに満ち、夢と希望に溢れた機関だった。おりしも昭和から平成へと時代が移ろう80年代後半はバブル景気の全盛期で、日本中がナイーヴな高揚感で浮きたっていた。

 学年が上がり、他のクラスメイトより勉強ができることを自覚するようになって以後は、それを隠すでもひけらかすでもなく、アイデンティティとして受け入れるようになった。そうしたら多少嫌なことがあっても、穏やかな気持ちでやり過ごせるようになった。

 実を言えば僕にはこれといった取柄がなかった。スポーツは何をやらせても駄目、面白いことを言うわけでもないし、お洒落な服を着こなすこともない。背も低いし、足も遅いし、顔だってひどい。そもそも目が悪いし、些か面倒な家庭事情まで抱えている。市場で取引される商品なら間違いなく買い手のない売れ残り、端的に言えば「クズ」同然の代物だった。自分でもそう思っていたし、そう思われて然るべきと悟っていた。「これで見た目がよかったらな」と、僕を見て残念そうに漏らす親の言葉が、子供ながらに重い呪縛になってもいた。

 それでも挫けることなく前向きに過ごせたのは、無数の欠点を隠そうとするのでなく、「欠点だらけで何が悪い」と開き直ることができたからだ。開き直りは当時の僕の最重要キーワードだった。誰に何を言われようと、開き直りさえすれば堂々としていられたし、堂々としている限りにおいては周囲から攻撃されることはなかった。もちろん開き直るためには各戸とした自分がなければならないわけだが、周囲の価値観に合わせるのでなく、むしろ周囲と違うことこそが価値なのだと強く信じることで、自分を奮い立たせていた。

 一人でいることを好む幼い頃からの習性は変わらなかったが、この時期は仲の良い友達と連れだって出かけることも多かった。自分の趣味や好みが波及し、クラスの流行を生み出すこともあった。人気者とまでは行かなくとも、低学年の頃とは違い、クラスの一員として広く受け入れられている実感があった。少なくとも、それなりになじんでいた。木陰で背を向けて一人でおにぎりを食べるようなことはなかった。