変わりゆく世界(僕が失明するまでの記憶 23)

 8月になるとイラクがクウェートを攻撃し、どのニュースでも速報で報じていた。ベルリンの壁が崩壊してまだ1年も経っていないドイツでは東西の統一に向けた動きが加速する一方、ソ連内部の小国が独立を画策し、連邦消滅が秒読みに迫っていた。ついこの前学校で習った世界ちづの色分けや線引きは大きく変わろうとしていた。「冷戦」という言葉の意味もろくに知らなかったとはいえ、激動する時代の空気を、ラジオのニュース越しにも感じ取ることができた。世界は変わる。その事実はある種の切なさを僕にもたらした。

 国内に目を転じてみれば、"Japan as No.1" の余韻を引きずり、世界の美術品や骨董品を日本人が高額で落札するニュースがしばしば聞かれた。相変わらず世界中の観光地にはカメラを持って連れ立った日本人客が溢れ、観光そっちのけで土産物を買いあさっていた。株価は89年11月をピークに下がり続けていたが、誰も日本経済の優位を疑わなかった。未来は明るく、一点の曇りもなかった。誰もが夢を見て、それがかなうと心から信じていた。自分だってそうだった。ついこの前、小学校を意気揚々と卒業した春の日までは。

 視力の急激な悪化と障害者手帳の一軒があって以後、僕はすっかり塞ぎこんでしまった。それまでは同室の患者さんと気さくに談笑したり、お気に入りの看護婦さんに冗談を飛ばしたりするなど、子供らしさも手伝って周囲を和ませる存在だった。それが次第に口数も減り、表情から無邪気さが消えた。そうかと思うと突如として感情が押さえられなくなり、運ばれてくる食事に「まずい、こんなもの食えるか」とケチをつけ、一切口にしないこともあった。面会に来る親にもう来るなと言って追い返したこともあった。