出生(僕が失明するまでの記憶 1)

第1章 少年時代

 1977年5月23日、それが出生の日付だった。体重3000gを超える、病気も障害もない、ごく平凡な男児の誕生だった。そう聞いているので、僕としてはそれを信じるしかない。
 当初、僕は「友博と名付けられるはずだった。父方の家で男児が生まれると「博」という文字が入れられるのが通例で、父にも祖父にも叔父にもその子供達にもその慣習が暗黙のうちに適用されていた。しかし、いざ名前を決める段になって、「一人ぐらい違う名前の子がいてもいいじゃないか」とのことで、急遽変更が加えられたらしい。もし「友博」という名前を背負っていたら、きっと全く別の人生を歩んでいたことだろう。