幼い日の風景(僕が失明するまでの記憶 )2

 幼い頃、就寝時に灯される天井のオレンジ色の豆電球を見るのが無性に怖かった。生まれて間もない赤ん坊に記憶などないはずなのに、ベビーベッドに仰向けに寝かされたときの心もとなさが、暗闇に浮かぶ亡霊のような明かりとともに蘇るような気がした。でも、それは確かな記憶というよりは漠然としたイメージだ。はっきりとした輪郭を持った記憶を辿ると、3歳か4歳頃の自宅周辺の風景が心に浮かぶ。

 生まれ育ったのは大阪府の北東部に位置するベッドタウンだった。競うように京阪間を並走する国鉄と阪急の駅周辺には大きな百貨店と商店街のアーケードがあり、それなりに栄えていた。自宅は市街地からバスで30分近く揺られた後、さらに10分ほど歩かなければならないところにあった。高度経済成長を遂げ、先進国の仲間入りを果たした日本ではあったが、学校の校舎より背の高い建物はなく、かろうじて田んぼより宅地が多い、よく言えば牧歌的でのどかな地域だった。 季節の移ろいは宅地と共存する田んぼが教えてくれた。水を引き入れ田植えが一通り終わったころになると、夜の静寂が無数の蛙の戦慄きに取って変わった。夏に畦道を通ると、低空飛行する蜻蛉をよく見かけた。収穫の終わる秋には、稲わらを焼くけぶったにおいが町中を包み込んだ。冬の田んぼは格好の遊び場だった。本当はいけなかったのだろうが、勝手に敷地に入って土上を駆け回り、寒い日の朝は我先にと霜を踏んだ。僕はどちらかと言えば室内で過ごすことを好む子供だったが、あの頃の風景、音、におい、風や土の感触を今でもありありと思いだすことができる。