子供の成長は非連続だ、ということを感じた話

何ということもない梅雨の日の日曜だった。午後から五反田のTOCで娘の漢字検定に父子二人で出かけて、試験中に待っているための喫茶店が無くて、TOC界隈を放浪しやや疲れた、そんな日だった。

何とない変化はあった。午前中、子供部屋の掃除をしていたときに、娘が気に入っていたけど暫く使っていなかった、ディズニーのプリンセスドレスを知り合いの小さな女の子にあげようか、ということになった。

最後にきて見る、ということで彼女が着た姿を写真に撮ると、ディズニーランドにきていったときは随分と大きかった服が、随分小さく、脱ぐのも一苦労、みたいな感じになっていたのを私はダイニングテーブルから眺めていた。

父の日だ。と言っても拙宅ではご馳走をするでも特別なプレゼントでもある訳でもなく。ただ、DyDOの復刻堂のメロンソーダに明治エッセルスーパーカップのバニラアイスで妻子がメロンフロートを作り、三人で飲んで、あわただしい週末が終わろうとしていた。

娘が、今日は一人で寝てみる、と言い出した。

切っ掛けはあった。前から娘が欲しい、と言っていたIKEAのブランケットを今日妻が原宿迄行って買ってきたのだった。既述の部屋掃除も喜んだ娘が掃除したのである。

娘は早生まれだ。とまれ、小学三年生。もう早い子は一年生から一人で寝ているし、海外なんかではもう3歳くらいから一人で寝かせる、ということもあると。そう考えると、別におかしな話でもない。ただ、うちの娘さんはそれまで一人で寝てみるか?と聞いても、いや、みんなで寝る、と言い続けていた。

主寝室、と言ってもマンションの部屋だ、大きくない。そこにシングル相当を二つつけて三人で川の字になって寝る。そうすると小学三年生にもなれば狭いものだ。そして娘さんはなぜか私のスペースで寝ていることが多くて、私が寝ようとするときには、ブランケットがあっちにいって、大体私の枕がよだれで濡れている。

そんな娘を彼女のスペースに寝かしつけ、ブランケットをかける。そうして寝所に就くのがこの数年ずっとそうだったし、いつかはそれが終わるのだろうな、と思っていたが、まあしばらく続くだろう、と”タカをくくっていた”というべきか。

そんな私は彼女が一人で寝る、と言い出した時、正直妻よりも、今日は三人で寝ていいんだぞお?といったことが自分でも意外だった。なんだろ、自分でも意外だった。

そんな、「父親の誘惑」に屈せず、一人で寝てみる、と彼女は強く主張し、そこで寝ているときに横に落ちても大丈夫なようにマットレスを引いて、そしてドアを半開きにして寝かせることにした。

私はその後、行灯部屋のマッサージチェアで特に何を考えるでもなく、Twitterをしていると、気配がした。やれやれ、寝れていないか?。

予想した通り、娘はまだ寝ていなかった。そして子供部屋から出てきて、リビングで様子をうかがっていた。

「パパ、寝付けれない」そういった娘に私はやや安堵し、やっぱり三人でねよう?お気に入りのブランケット持ってきてもいいよ。と誘惑をしたのだったが、首を縦に振らない。一方で、「ぱぱ、寝るまでトントンして」と。

やれやれ、と思いながら、雑誌を置いて娘と添い寝をする。手を枕に置いていると、彼女のほっぺにおいてすりすりしながら安心したのか、目を閉じて寝始めた。

寝息が深くなるまで、トントン、と軽くたたいていると、どうも良く判らないが、感慨深く、そして大きくなったなあ、という喜びと、さみしさと、こうやって巣立っていくのかなあ、と思うと気の早い話だが、涙がこぼれてくるのが判った。両手に抱きかかえられるくらいから、今や身長は妻の肩の高さを超えた。

妻が風呂から上がり、私も入ろうとしたとき、妻が私が泣いているのを驚き、笑いながら、急だったものね、びっくりしたんだね、とまるで私が子供のようだった。世話無い話だ。

子供は誰のものでもなく、個々の意思をもった存在だ。だからやがて離れていくし、むしろ独り立ちしないと親として心配なわけだが、急にその日はやってきて、親として途方に暮れる。昨日までは普通のことが一遍ガラリと変わる。そんな事態を突き付けられると驚き、戸惑い、いや何よりもうれしいはずだが、さみしさが募る。

結局風呂場でもさめざめ泣いて、その昔、私が大学卒業後、就職のため、3月31日に飛行機に乗って東京に出てくる際、のちに父親が泣いていた、という話を母から聞いたときに、なんて大げさなんだよ、と思ったが、その時の気持ちが何となくわかった気がした。

父の日にはイニシャル入りのタオルを送ったが、なるべく大事にしないで使ってほしい、大事にしたって、仕方ないのだから。

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