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学級目標は「どちらに転んでもシメタ!」

4月、学級目標を決めるとき…私は子ども達にお願いをしています。

どちらに転んでもシメタ!にしませんか? と

ということで、学級目標を決めるときに配布している
学級通信を紹介します。

※ こちらの文章は峯岸昌弘さんの資料「学級目標はどちらに転んでも,シメタ!」をもとに書いています。(月刊『たのしい授業 見本誌2021年春号』(仮説社)より)



どちらに転んでもシメタ!~学級目標についてのおねがい~

 
「学級目標」というのは,子どもが自分たちで考え,
それを掲げて守るものです。

しかし,教師としての私のわがままかもしれませんが,
今回私が子どもたちに伝えたい目標を提案したいと思います。

 教師が子どもたちにお願いしてまで掲げてほしい目標。
 そこまでのものなんて,普通はなかなかないと思いますが,
それほどの価値を見いだせる目標があります。
 
それが,この「どちらに転んでもシメタ」なのです。

小学校生活を忘れてしまっても,この言葉だけは忘れないでいてほしい。
そんなふうに思っています。
 
これを教室の前に掲げると,グッと勇気がわいてきます。
この1年,クラスで起こるであろうたくさんのトラブルを,
前向きに乗り越えていけそうな気がしてきます。
 

失敗したときに,いつでも確認していきたい言葉


この「どっちに転んでもシメタ」というのは,
科学史家,板倉聖宣さんの有名な言葉です。

「どちらに転んでも,シメタ」~条件が変わると見えるものも変わる~
何か変わったことが起こるといつも「悪い方に転んだ」と思う悲観的な人がいます。剣道で立ち会っていて,相手が少し動いたらいつも「打ち込まれる」と思うようなら,その試合は負けに決まっています。相手が少しでも動いたら「しめた,すきができたぞ」と思えるようになったら,試合に勝てるようになるでしょう。
何か変化したときは,負ける恐れもある代わりに,その変化をうまく利用して勝つチャンスでもあるのです。いつも悲観的に考えていると,そのチャンスを見過ごしています。どんな変化のときも,必ず自分に都合のいいチャンスにもなっていることを忘れないことです。

板倉聖宣『発想法かるた』(仮説社)より


 先が見えないほど辛いとき,いつもこの言葉に助けられてきました。
もうダメだ!と思うようなことがあっても,
「これも,どうにかしたら,シメタになるのかな」と,
前向きな一歩が踏み出せるようになるからです。

 けれど,そんなふうに思えるようになるのは,
この言葉が自分のものになった時だけです。

 本当に「もうダメだ…」という時には,
「よ~し,シメタになるぞ~」なんて,とても思えません。
 人生には「ああ,もうどうでもいいや」と,
なげやりな気持ちになってしまうことなんて,
何度も何度もあるものです。
 

いろいろあって,今がある

私が初めて人生に挫折したのは,大学に落ちた時でした。
 地元の大学を4~5つも受験したけれど,すべて落ちました。
全滅です。
 心のどこかで「まぁ,どこかは受かるだろうなー」と思っていました。
とはいえ,あまり受験勉強をしてなかったという事実もありましたが…。

 合格発表の時,自分の受験番号がどこを探してもない・ない・ない!…落ちた…と現実を突きつけられた時,目の前が真っ暗になりました。

 こういう時,
とても「じゃあ!この状況をシメタにしてやろう」なんて思えませんでした。
 これから先,私の人生はいつもこうやって悪いことばかり起きるのか!?とも思いました。
 
 そういう苦しい渦中にいるときには,
「もう嫌だ!」とやさぐれたりすることもあったけど,
…時間が経って後から考えてみると,
それが見事に「シメタ」になっていたことに気づくのです。

 大学にすべて落ちてしまった後,1年間浪人を経験しました。
そこで必死になって勉強しました。
そして浪人時代に「一緒に頑張ろう」と声をかけあい
ともに頑張った友達もできました。
(一緒に苦労を分かち合った友達は今でも連絡をとるほど仲がいいです。)

 そして,浪人時代必死になって勉強したことで,
1年後無事に志望校に行くことができました。
 
そして大学4年生のころ,先生になる試験=教員採用試験を受けました。
この時はさすがに浪人時代に勉強した経験があったので
「私…しっかり勉強しないと受からない!」と思い
大学3年生の時から必死になって採用試験の勉強をしました。

この時,地元の採用試験(私にとっては第一志望!)と
他県の教員採用試験(結構軽い気持ちで)を受けました。

しかし,一番希望していた地元の教員採用試験に落ち,
なんと他県の教員試験に合格したのです。

今まで住んだこともない・全く知らない場所で先生になったときは
何もかもが初めてで,先生になれたのは嬉しかったのですが
毎日毎日「地元に返りたいよ」と泣いていました。
 
しかし,別の県で先生をしたことで,
「学校が楽しい!授業が楽しい!」と思える
(私の人生観も変えるくらいの)研究に出会ったんです。

そして,他県で先生として過ごした期間,
「自分で考えて動くことの楽しさ」を知ることができました。
これは今では私の生き方になっているなぁ・・・とも思っています。
 
とはいえ,地元に戻りたくて何度も採用試験を受け
ようやく戻ってこれました。(合計7回も試験を受けました 笑)。

 こういう経験を積み重ねていくと,
その時はとっても辛かったことも,月日が経つと,
「それほど大変な事でもなかったな」と思えるようになります。

 それどころか,
「あんなことがあったから,いま,この時をたのしく生きているんだなぁ」と思えたりもします。

まさに,たくさんの失敗が,この言葉の本当の意味を教えてくれました。

毎年クラス替えがあるため,
このクラスで過ごすのはたった1年だけですが,
クラスの中でも,きっとこの言葉の大切さを伝えることができると
信じています。
クラスにも,たくさんの失敗や,たくさんの間違いがあるのだから。
でも,それは必ずシメタになります。
そういう振り返りを,いつでもさせてあげたいと思っています。
 
人間は一人では生きていけません。みんなと関わり合って生きています。

だからこそ,たくさんのトラブルが起こります。
時には,友だちとケンカしたり,いじめたり,いじめられたり…ということだってあるでしょう。
けれど,それは誰かと関わり合っている証拠だと思っています。

そしてそれは,
「そんなふうに摩擦のある生き方をしていたら,お互いに過ごしにくくなるぞ」ということを学ぶチャンスだとも言えるのです。
 
今年も,1年の間に巻き起こるたくさんの問題を,
ひとつひとつ丁寧に「シメタ」にして,
「失敗の仕方」や「過ごしやすい仲間の作り方」を学んでほしいと願って,この目標を掲げてみたのでした。
 

新しい時代を生きるために

 これからは,どんな仕事がみんなの笑顔を作り出せるものなのか,自分たちで考えていかなければならない時代です。
そういう時代は 〈失敗がつきもの〉 で,
失敗との上手な付き合い方が必要になると考えられます。

 新しいことに挑戦すると,必ず間違えます。
それは,科学の授業を積み重ねてきた,
私と子どもたちとの多くの経験が教えてくれたことです。

〈間違わない〉などというのは,
〈新しいことに挑戦していない〉ということです

 マネをする時代であれば,成功の仕方をそのまま学ぶわけだから,
失敗する可能性は今よりもずっと低かったかもしれません。
 
 けれど,新しい時代を切り開くときには,
「失敗しない」などということはありえません。
 
 逆に言えば,失敗の仕方を学んでおかないと,
絶望してしまう可能性だって出てくるわけです。

 誰だってみんな,間違えながら,失敗しながら生きているのです。

 だからこそ,失敗したときや,うまくいかないときに
「シメタ」と思える発想を,身につけておくことが大事になるのだと
考えています。
 
 だいたい「もうどうにもならない」などという失敗をしたときほど,
「シメタになっている」という発想は思い出せないものだと思います。

 だから,失敗したり,間違ったりする度に,
確認していく必要があると私は思っています。

 そうやって,
「ああ,確かにシメタになっているんだな」という経験を積み重ねて,
ようやく身についていくものなのでしょう。

 失敗したときに,どれだけこの言葉を早く思い出せるようになるかで,
人生は明るく開けてきます。

 今年も,そんなことを意識しながら,
 クラスの子どもたちと一緒に過ごしていきたいと思っています。
 


ということで,学級目標は「どちらに転んでもシメタ」にしています。

何度も心が折れそうなとき,
しんどいとき,
苦しいときってありますよね?(私は結構悩むタイプなのでよくあります笑)

そんなとき,
「でもあのときのあの経験はシメタだったかも?」と
思えると,
気持ちがラクになるかな?と思っています。

 そして祝電に書きたいくらい,伝えたい言葉 です。

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おしまい


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