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机が無けりゃ、机上の空論すら。

机と椅子を買った。近所のリサイクルショップにセットで合計3000円で売っていた、シック調の、安っぽいがしっかりした作りの机と椅子。

リサイクルショップや古本屋には、定期的に足を運ぶようにしている。訪れるたびにラインナップが変わり、たまに掘り出し物が現れるのが、どうぶつの森のたぬきちの店みたいで楽しい。そもそもいらなくなったものを売ってお金に換えられるのがゲームみたいでいい。不要になった物をみんなでシェアしていくのはすごく現代のエコ思想にも合致していて、そこもいい。リサイクルショップのおもちゃとか、楽器とか、古本を物色して一日を過ごすこともできる。あ、書こうと思えばリサイクルショップについてで一本記事書けそうだな。

さて、机と椅子について話を戻す。
先週末リサイクルショップに現れたお手頃な机と椅子、これを即決で購入して、筋トレよろしく手で抱えて持ち帰ってきた。今はその椅子に座り、机の上でPCを開いて記事を書いている。

机と椅子を自分で欲したのはこれが初めてだ。
思えば、実家で暮らしていた高校生までは、自室の勉強机を使うことは小学1年生の最初の一ヶ月を除いてついに無かったし、大学生の頃はもはや家で勉強することを放棄してしまった。これは勉強しなかったアピールとかではない(いい大人はそんな恥ずかしいことはしない)。勉強や作業をするときは、とにかく学校や図書館にいくようにしていた。僕は家では作業できない体質なのだと割り切っていたわけだ。

それでなんとかやってきたのだが、社会人になって1年、さすがに家での作業があまりにも捗らないことに嫌気がさすようになってきた。
仕事柄、職場以外でやらなければいけない作業があったり、近頃は家でオンラインミーティングに参加することが増えてきた。あとはこうやって記事を書いたり趣味にも力を入れたい。机代わりのキャリーケースにPCをのっけて、地べたに座ってミーティングに参加したり、パソコン作業をしたりするが、効率は悪いし、腰も痛くなる。そうなってくると作業を始めるのも嫌になって来る。

どうして家での作業はこんなにおっくうに感じるのか。ここらで長年の悩みに決着をつけてやろうと1週間ほど考えに考えた。
勉強に使っていた学校や図書館、作業のためによく行くマクドナルド、そして約1年前なぜかコンスタントに記事を書けていた、数か月住んでいた東京の社宅。それらと今住んでいる自宅の違いはなにか。ノートに書きだして真面目に分析した結果、ある衝撃的な事実にたどり着く。

「あ、うち、机と椅子が無い」

それで机と椅子を買って今に至るという次第である。結果、こうやって記事は書けるし、在宅勤務なんかもやっちゃえるようになった。

思えば、そういう当たり前のことに気づけていないことって多々ある。ここからそれについて考察的なものを書いていこうと思ったが、今回はここまで。

それでは、また。

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