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#00 智慧の神、転生に気付く

序章


思い出した瞬間

「あ」

 買い物袋を手に下げて、彼女は不意に気付いてしまった。
 ──私、智慧の神だったわ。
 一体全体、どういう理由かは分からない。ただ唐突に、己が智慧の神であったと思い出してしまったのだった。

 ともかくも、突然道端で立ち止まっていては、ただの不審者である。彼女は目の前が横断歩道であり、信号が赤で良かったと安堵しながら、ひとつ息を吐いた。

 ──そうか、智慧の神だったからか。
 どうりで神社やスピリチュアルや神話や古典に縁があるわけだ。
 今までの人生をなんとはなしに思い出し、彼女は少し遠い目をする。

回想

 あれは幼稚園に通っていた頃だったろうか。小さなブラウン管テレビで、『幽☆遊☆白書』や『GS美神 極楽大作戦!!』などを兄と一緒に見ていた。母は血が苦手なくせに、なぜか父と一緒にホラー映画やミステリー番組を見る人で、そんな家庭環境だったから幽霊や悪魔に彼女が興味を持つのも当然の帰結と言えるだろう。

 さて、ホラーやミステリーに付き物なのが、タロットカードである。
 『金田一少年の事件簿』や『名探偵コナン』、刑事ドラマやミステリでも、事件のヒントになり得る神秘のカードだ。小学生の時に買ってもらったタロットカードは、しばしば彼女の人生に道を示してくれるものだった。

 それというのも、彼女は小学3年生の時に転校を経験し、3年生の間こそ転校生として猫をかぶりチヤホヤされるものの、4年生になる頃には生来の気性の激しさが顔を出し、完全にクラスから孤立してしまっていたのである。
 孤立したとはいえ、クラスメイトに友人と呼べる存在がいなかっただけで、彼女は学校へ通い続けた。学校へは勉強をしに行っているのであり、クラスメイトと話さないことは彼女にとってどうでも良いことであったからだ。気の合わない人間と話したり遊んだりするよりも、図書室へ行って本を読むことが好きだった。ほとんど誰も借りていないような分厚い本を探して、自分の名前を書き込むことにちょっとした優越感を感じ、ただ文章を読むことに没頭していた。

 それでも、嫌味を言われればそれなりに傷付くし、グループ分けで爪弾きにされたら困ったし、ランドセルをボールのように投げ回されるのを追いかけるのは面倒だった。

 そういえば彼女は、転校をする前から時折、孤立することがあった。それは例えば、「花一匁」という遊びをしている時のことだ。最後まで選ばれず一人になり、ジャンケンに勝って誰かを自分の陣営に加えても、すぐに取り返されて一人になる──幼稚園の時には、保護者参観の日に限って靴を隠されたりもした。それでも、クラスメイトや一緒に遊んだ子たちのことを、彼女は友だちだと思っていた。

 話を戻そう。
 ある日の休み時間、生徒たちは教室から階下へ降りて、何かを見に行こうということになった。そして階段を降りている最中、彼女はとある生徒と口論をし、腹が立って教室へ引き返した。
 その怒声がわずかでも担任の耳に届いたのだろうか。担任は教室へ戻ってきた彼女の前に座り、何があったのか問いただして、そして尋ねた。

「どうして、先生に話してくれたみたいに、みんなにそれを言わないの?」

 彼女は涙を流しながら口をつぐんでいたが、心の中で即答していた。

 ──それを言ったところで、何が変わるの?

 夏休みの工作作品を、壊されたことがある。
 クラスの誰かが「工作壊されてるよ」と報告に来てくれて見に行ったが、クラス中の生徒が彼女の工作を取り囲んで、黙って眺めている姿は異様だった。そして彼女が教室へ入った瞬間、視線が一斉に集中したのも、ただ気味が悪かった。その場に担任もいたはずだが、誰も何も言わず、ただ彼女と作品に注目していた。

 今なら思えるだろう。あの時、教室にいたほとんどの生徒は、彼女が泣き出したり、怒り出したりすることを期待していたのだろう。あるいは、そうなるのではないかとハラハラしていたのではないか。

 けれど、彼女はどれもしなかった。
 ただぼんやりと、「これ、捨ててもいいのかなぁ」と思いながら、粉々に砕けた卵の殻で作ったハムスターだったものの残骸を眺めているだけだったのだ。
 そこには、怒りも悲しみもなかった。
 ただ”壊れた工作がある”、そして”それは元に戻らない”から”泣いても怒っても仕方がない”し、”犯人を探すことにも興味がない”し、”謝られても「わかったよ」と言わなきゃいけないなら犯人探しの意味はない”と考えた。

 そして、こうも思った。
 ──先生、何も言わないな。

 故意だろうが事故だろうが、彼女の工作が壊れたという事実があって、それに対して被害者である彼女は何のリアクションもしなかった。だから、担任は犯人探しをしなかったのだろうか。
 そんな漠然とした気持ちで日々を過ごした2学期の成績表に、「人の気持ちを考えた発言ができるようになりましょう」などと書かれた日には、さすがの彼女も考え込んだ。

 ──どれが人の気持ちを考えなかった発言なんだろう。
 ──私が言われた言葉や、私がされたことは、私が人の気持ちを考えない発言をしたからいけなかった、っていうことなの?

 幼い彼女には判らなかった。
 それが「判らない」ということを大人に対して言葉にできるほど、幼い彼女には語彙力がなかったし、担任は味方ではないということがわかってしまった。担任には心の内を吐露していたのに、ほらやっぱり何も変わらなかったじゃないか、と思っていた。大人に話してこれだったら、クラスメイトに話したところで、やっぱり何も変わらなかっただろう。なぜなら、クラスメイトは子どもで、担任は大人だからだ。しかも担任は、彼女が悪いのだ、と成績表に書くことまでした。

 彼女の親はそれを見て、学校に連絡をしたかもしれない。いや、学校から親に連絡が入ったかもしれなかった。それは、彼女の母親が「何か話すことない?」と、マラソン練習の帰り道に珍しくブランコに乗ることを許してくれたことからも見てとれた。
 けれど、母親に話したところで一緒に学校へ行ってもらえるわけではないし、親が学校に来て先生と話したり、彼女の工作を壊したかもしれない生徒と話すことは何の解決にもならないことだから、親に学校のことを話すことにも意味がないと、彼女は結論づけてしまっていた。

「何もないよ」

 彼女は考えていた。
 どうしたら人の気持ちを考えられるのだろう。
 どう足掻いても彼女は彼女自身でしかなかったし、他人の気持ちを考えろと言われても、他人の脳みそが思うことをテレパシーのように知ることはできない。彼女は超能力者ではなかったからだ。
 そうして8歳の彼女がたどり着いた答えは、演劇部に入ることだった。

回想〜演劇との出会い

 彼女は裁縫や刺繍が好きだった。絵を描くのも好きだったし、物語を考えることも好きだった。そんな時にぶつかった壁が、”人の気持ちを考えること”だった。

 ──どうしたら、自分ではない他人の気持ちを考えることができるのだろう。

 そんなことをぼんやり思っていた時に観たのが、クラブ発表会における演劇クラブの舞台であった。ストーリーはすっかり忘れたが、裁判官役を演じていた2つ年上の先輩のことを、彼女は大人になった今も鮮明に覚えている。

 ──女の人、だよね?

 幼い彼女は何度も自問自答した。
 真っ黒な服を着て博士帽をかぶり、男性のような口調で、堂々と舞台上で裁判官の役を熱演しているその先輩から、彼女は目が離せなかった。
 そして思った。

 ──自分じゃない役を演じることは、人の気持ちを考えることかもしれない。

 台本というものがあり、実在しない人物がなぜその発言をするのか?
 それを考えて役を作り、その集合体が演劇なのだとしたら、それはさまざまな人間の心を考えることになるのかもしれない。
 もちろん、裁判官役を演じていた先輩への単純な憧れもあっただろうが、彼女は演劇クラブへと入ることを決めた。

回想〜恩師への感謝は28年の時を経て

 演劇クラブに入り、少女だった彼女は少し明るくなった。演劇が楽しかったのである。
 5年生になり、クラス替えをして、彼女はさらに明るくなった。5年生に進級した彼女のクラスには、4年次のクラスメイトはほとんどいなかったのである。どうやら彼女の孤立は、職員室でも話題になっていたらしい。

「4年生の時に、担任の先生にはお世話になったんだから」

 ほとんど話したこともない隣のクラスの担任からそう告げられ、担任の還暦退職の祝辞を述べることになった。彼女は頭に疑問符を浮かべながら、祝辞を書き上げた。
 幼かった彼女には、担任の勇気と気遣いはまだ理解できなかった。
 何の感動も感慨もなく、何の感謝もない、上面の言葉を並べただけの祝辞では、果たして担任の最後を飾るに相応しかったとは言い難かろう。どちらかといえば、何もしてくれなかった大人に対してなぜ祝辞を述べねばならないのか、という憤りすらあったかもしれない。

 しかし、5年生になってからのクラス替えを思えば、教師人生の最後に問題児を抱えたクラス担任として、言いにくいことも伝えてくれたのだろう。そうでなければ、考えられないクラス編成である。
 今であっても果たして感動的な祝辞を述べられたかは不明だが、「人の気持ちを考えた発言をしなさい」という教師の言葉がなければ、彼女が他人の心を理解しようとすることはなかっただろう。

 さらにいえば、5・6年次の担任は新任教師だったため、彼女の4年次の問題を知らない可能性がある。にも関わらず、6年次の成績表には『人の気持ちを考えて発言・行動ができる』と評されたのだから、その影響は凄まじい。
 この8歳時の記憶はトラウマでありながら、彼女のその後の人生に大きな影響を与えることとなる。
 そう考えると、4年次の担任教師はまさに得難い恩師であった。

智慧の神、奮起する

 ──あれは、人間とのコミュニケーションを学ぶために必要な出来事だった。

 遠くへやっていた視線を信号へ戻しながら、彼女は思った。

 今までずっと、悩み続けてきた。
 なぜ伝わらないのだろう。どうして理解してもらえないのだろう。

 けれどそれは、神が人間としてのコミュニケーションを学び、人間だからできること、人間でなければできないことを行うために、今世生まれてきたのだと、唐突に理解してしまった。

 ──だから私は、伝えたいのか。
 彼女は苦笑した。今まで頭を悩ませてきたことが、まさか人間として生きながら神としての役割を果たすためであったとは、思いもしなかった。

 ──だけど、誰もが身のうちに神を宿している。

 身のうちの神が、「今世はこれを成せ」と、本当はずっと語りかけている。
 彼女だけが特別なのでは決してない。本当は誰もがそうなのだ。ただ、その声に気づかずに過ごしているだけ。気づかずともそれを成している者もいる。わざわざ神がどうのと言う必要がないだけで、誰もがそれを願っている。

 必要な人に、届くといい。
 必要な人に、届けにいこう。

 その為に彼女は、人間として産まれたのだから。

 彼女の名前は、越智望。
 職業は、オタク占い師である。
 特に好んでいるのは「四柱推命」という中国で発祥した陰陽五行の占いであり、それに体験と考察を重ねて假屋舞という女性が創り上げた『子宮推命』だ。詳細が知りたい方は、ぜひGoogle先生に聞いてほしい。

 これは、智慧の神が人間・越智望に転生し、人間界で奮闘する物語である。

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