【SW2.0】早天のアキュリアス〜序〜

 ──俺は、人族とバルバロスの違いが分からんのだ。

 黒鉄の肌を月光に弾いて、巨人の男はそう言った。
 その横顔がなんだか寂しそうで、小人はただ巨人を見上げていた。

「ルイ! お前、また訓練をサボったんだって?」
「んー」

 呆れたようなオルレインの声に、ルイは生返事を返しながら本のページをめくる。それを見て、オルレインは小さく息を吐いた。

「本好きも構わないけどさ、そんなんじゃサン=ディロンの名が泣くよ」

 ──またそれか。

 ルイはうんざりして本を閉じ、立ち上がった。

「300年も前のヤツの話なんて興味ねーし! オレは騎士になんてなりたくねーの!」

 窓に足をかけて、飛び降りる。2階程度の高さなら、まぁ余裕だ。膝を使って衝撃を殺し、着地の反動を使ってそのまま跳ねるように駆け出した。
 オルレインの声が背中に響くが、知ったことか。
 ルイは小さく悪態を吐きながら、人混みの中へと滑り込んでいった。

 ──“一人殿”サンディロン。

 それは、300年ほど前に起きた〈大破局(ディアボリック・トライアンフ)〉という人族と蛮族の大戦争で活躍をした、ある英雄の名だ。
 人族の宿敵である蛮族軍1万を、わずか20人ほどの部隊で3ヶ月もひっかき回し、ついには撤退せしめたという。しかも、その最後の1ヶ月はサンディロンたった一人で蛮族軍の相手をしていたとか。
 故に、“一人殿”の名で呼ばれるようになったのが、英雄サンディロンである。

 そのサンディロンの末裔だと言われているのが、サン=ディロンの家系である。
 サンディロンという人物が、人族の中でもどんな種族かは伝わっていない。しかし、優秀な野伏(レンジャー)だったことから、グラスランナーだったのではないか、という噂はある。しかし、所詮は噂である。旅を愛するグラスランナーという種族が軍人だったなんていうのも眉唾に思われるし、しかもその二つ名を賜った以降の戦功は伝えられていない。……となれば、そもそも存在自体が眉唾だ。
 少なくともルイからしてみれば、サン=ディロンという姓は迷惑以外の何者でもなかった。


 ひとしきり人混みの中を走って、ルイはふと足を止めた。顔を上げて、そこが〈夢への架け橋亭〉であると認めて扉を開ける。

「やぁ、ルイ。今日もいい天気だね」

 店主のレイリーが気安く笑う。カウンターに手招きされたので、大人しくそこへ座った。

「今日もオルレインから逃げてきたのかい?」

 レイリーはなんでもお見通しだ。お人好しの顔をして、その昔はなかなか腕の立つ冒険者だったというから、人間見た目では分からないものである。

「二言目にはサン=ディロン、サン=ディロンってうるさいんだ。オレは騎士になんてなりたくないってのに」

 大仰にため息を吐くと、レイリーは小さく笑って、水とカレーを出してくれた。カレーはルイの大好物である。

「オルレインは期待してるだけなんだよ。ルイには軍師の才能もあるし」
「こんな才能、欲しかったわけじゃないやい。大体、往々にして才能ってのはさ、欲しいものと一致しないもんだよね」

 カレーを頬張りながら、ルイはそっぽを向いた。
 ルイの育ての親であるオルレイン・カースは、“拓かれた町”カシュカーンの警備兵長である。レーゼルドーン大陸最南端のこの町は、“橋の国”ダーレスブルグ公国が《大破局》以降、蛮族から奪還した最初の土地である。
 オルレインは開拓者の一員としてカシュカーンへやってきたが、当時はまだ散発的ではあるものの、蛮族の襲撃もあった。エルフは暗闇を見通す[暗視]という目を持つため、彼は積極的に夜間の警備を引き受けた。弓の名手でもあり、魔法の才能にも目覚しかったオルレインは、カシュカーン守備隊に引き抜かれる形で騎士となった。一般人からしたら大抜擢だ。

 そんな彼と親交があったのが、ルイの両親である。ルイの両親はふらりと町に現れ、吟遊詩人として大いに名を馳せた。オルレインが彼らと出会ったのも、ここ、冒険者の店〈夢への架け橋亭〉だったという。

 意気投合した二人は、警備兵と冒険者という立場ながら、なかなかの名コンビだったらしい。オルレインはずいぶん熱心にルイの父親であるサティを騎士へ勧誘したが、自由を愛し、詩と旅に生きる彼らは、来た時同様、ふらりと去ってしまった。ルイをオルレインに託して。

「まったく、グラスランナーだからって子どもを置いて行くかね! 自由にも程があるだろ!? オルレインもよく引き取ったわ!」
「そりゃまぁ、盟友だったしねぇ」

 ルイの叫びに、のんびりとレイリーが答える。ルイはガックリと頭を垂れ、ぶっすりとした顔でカレーを口に運んだ。甘すぎず辛すぎず、いつも通り絶妙な味わいのカレーだ。

「ルイも何か戦う術を学べばいいのに。もうすぐ15だろ。そしたら、冒険者として雇ってやるよ」

 それはとても魅力的な話だ。けれど──
 黙りこくったルイに、レイリーは目を細める。

「そんなに重いかい、サン=ディロンの名は」

 レイリーが問う。
 ルイはレイリーの顔を見返して、頬杖をついた。

「サン=ディロンより、オルレインが重い」

 レイリーの笑い声が店に響いた。


 カレーを食べ切り、ルイは店を出た。空はまだまだ明るい。レイリーのおかげで気持ちは少し浮上したが、家に帰る気にもなれず、ルイは町外れへと足を運んだ。カシュカーンは新興の町だけあって、冒険者と開拓者で活気に満ちている。

 ──冒険者、かぁ。

 道ゆく冒険者たちを横目に見ながら、町外れの小高い丘に上る。自分の小さな手を見下ろして、ルイはため息をついた。
 ルイは、グラスランナーという種族である。器用さと俊敏さに長けており、なぜかマナ(魔法の源)に反応しにくい体質をしている。マナに反応しにくいから、魔法を使うこともできない。魔法をかけられても無効化できる場合が多いのは、有利な点と言えなくもないのだが。
 身長も1m程度しかない。グラスランナーはそれでもう大人の体躯で、それ以上伸びる希望はない。ルイはいつまで経っても、他の種族の子どものような容姿だ。
 ルイは大きくため息をついて、寝転がった。喧騒は遠く、青い平穏な空がなんだか憎々しかった。

 両親はきっと、自分たちがグラスランナーであることを気にしたことはないだろう。だが、ルイは、エルフであるオルレインに育てられた。
 エルフは、男女ともに、すらりとした長身が特徴である。そんなエルフを見て育ったルイは、自分もいずれそうなるのだと信じていた。そうじゃないと知った時のショックと、オルレインのなんとも言えない顔が忘れられない。
 オルレインは弓の名手でもあった。190cmはある長身痩躯の男で、ルイより大きな弓を自在に操り、さらに魔法の心得まである。
 ルイの小さな体と筋力で持てる武器は少ない。辛うじてクロスボウは持てるが、オルレインのロングボウを構えるすらりとした騎士としての姿を思い浮かべると、あまりに自分が惨めに思えて、とても持つ気になれなかった。
 だから訓練にも行きたくないのだ。
 種族も男女も関係なく、得手不得手があるのは分かっている。
 それでも、身長も筋力もなく、魔法に対する抵抗は強くても魔法を使うことはできないルイは、「オルレインのようには決してなれない」と毎回突きつけられているようで、気分が落ち込むのを止められなかった。

 ──どうして、親父たちはオレを置いて行ったんだろう。

 同じグラスランナーに育てられたなら、容姿や能力にコンプレックスなど抱かず、グラスランナーらしくもっと陽気に、もっと自由に生きられたのに。

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