【SW2.0】早天のアキュリアス 序章〜2〜

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 ──眠れない。
 ルイはため息を吐きながら起き上がった。窓の外を見やると、白い月が輝いていた。まだ真夜中と言われる時間帯だろう。オルレインは守備隊の当直当番なので、今夜は家にいない。
 ルイは栗色のくせっ毛をかき混ぜながら、ベッドから降りる。部屋の隅に立てかけてある古いリラを掴んで、玄関から外へ出た。

 カシュカーンは、レーゼルドーン大陸の最南端に位置する、人口3000人程度の小さな村だ。一時は蛮族たちの侵攻により完全に放棄せざるを得なかったこの大陸の中で、最初に取り戻した土地が、ここカシュカーンだった。
 このカシュカーンを統治するのは愚痴ばかり言うくだらない執政官だが、活気に満ちた町になっているのには、理由がある。

 まず第一に、“姫将軍”とあだ名されるマグダレーナ・イエイツの存在である。
 マグダレーナは、20年前のカシュカーン奪還に際し、戦死した英雄の娘である。また、カシュカーンを内包するダーレスブルグ公国の現公王の姪であり、公国第4軍を束ねる将軍でもある。

 ダーレスブルグ公国は、一枚岩ではない。
 現公王はなぜだか無気力で、政治の場に顔を出さない。それによって積極的にレーゼルドーン大陸を制圧していくべきだと主張する「開放派」と、門を閉ざして国力の回復を図るべきと主張する「保守派」に分かれている。
 開放派はカシュカーンを取り戻したことで蛮族への警戒に対して楽観的である。またレーゼルドーン大陸では、駆け出しの冒険者には任せられないようなクエストも多く、カシュカーンにはそれなりに腕利きの冒険者たちが集まるようになった。結果として、なし崩し的に開拓が広まりつつあることも手伝って、マグダレーナも積極的に調査を行う方へと舵を切らざるを得なかった。
 その一手として、カシュカーンの守備隊長を任されたのが、マグダレーナの右腕たる“鋼鉄の騎士”ハウル・バルクマンである。

 バルクマンは「超」が付く真面目で堅物、融通が効かないと3拍子揃った人物である。目の下にいつも黒い影と眉間に皺を刻んでおり、彼の姿を見るだけで守備隊員の背筋が伸びる。また、人間でありながらその実力は確かなもので、彼の考案した訓練たるや、訓練生にとってはまるで鬼の所業だ。
 とはいえ、そうやって鍛え上げられるから、南のテラスティア大陸よりも危険な蛮族が多いこのレーゼルドーン大陸最南端の開拓村を守れるし、大陸の開拓も少しずつではあるが進んでいる。そして夜中だろうと守備隊は交代で巡回を行うので、カシュカーンの住民は安心して眠ることができていた。
 これが、冒険者たちをもうまく使ってカシュカーンが活気に満ちている第二の理由である。

 ルイは静かに沈黙している住居エリアを足音を立てないように抜け、農地エリアも超えて、小高い丘へと向かって歩いていった。昼間のように住居エリアからまっすぐ抜けて行ってもよかったのだが、万が一にも巡回中の守備隊──オルレインとうっかり出くわしたりはしたくなかったので、わざわざ大回りをしたのだ。

 ──情けないなぁ。

 ルイはリラを抱える手に、ほんの少しだけ力を込める。
 自分の劣等感を自覚して恥ずかしさを覚えながらも、憧れることを止められず、それでも完全に諦めることも努力することも選べない自分。
 身長も違う、持てる武装も違う、ルイと同じ年齢の彼らにできることがほとんどできないという事実が、どれだけルイを惨めな気分にさせるのか、教官も訓練生も──オルレインにも想像できないだろう。
 訓練をサボっても平気な顔をしているように見せられるのは、ルイが『気まぐれなグラスランナーという種族』だからだ。この世界でグラスランナーとは『そういう存在』だと認知されているからだ。
 だから誰も、ルイの本心を見つけられない。ルイがどれだけ劣等感を持ち、どれだけ悔しい思いをしているのか、彼らには想像もできないだろう。

 丘にたどり着き、ルイは黒く盛り上がった岩に腰を下ろした。
 ここからはカシュカーンの村がよく見えた。村をぐるりと囲む松明は、蛮族に対して居場所を知らせるようなものではないかと思っていたが、巡回をする人間たちの目が利かない方が問題だと聞き、それも確かにと納得した記憶がある。さまざまな種族が存在しているが、全体的に見てこの世界は人間という種族が最も数が多い。それは、カシュカーンに住む人々を見ても納得できることだ。

 サラサラと吹く秋の夜風が、ルイの栗色の髪を揺らす。
 白い月がカシュカーンを明るく照らし、海峡を挟んでテラスティア大陸の影を浮き上がらせた。遥か遠くに空へ霞む「神へのきざはし」と呼ばれる急峻すぎる山が見える。

 ルイはリラを抱え直し、リラの胴を左足に乗せる。古いリラだ。両親が置いていったらしい、ルイの名が刻まれたリラ。
 12弦のそれを指で弾く。ボロン、と低く落ち着いた音が響いた。

 どんなに自分の種族を恨んでも、他の種族を羨んでも、どうにもならないことは分かっている。
 しかし、14歳の少年は未だにそれを消化できないでいた。
 一緒に住まうエルフに憧れることを止められない。あのように自分もなるのだと未来の自分に胸を躍らせていた幼少期。それが打ち砕かれたあの日。
 自分よりも小さかった隣人が、自分の年齢に達する前に、自分の背丈などゆうに超えていく様を見たあの日。自分よりも小さな少年が、ルイにはとても持てない剣を悠々と振るったのを目の当たりにしたあの日。
 ルイの心は少しずつ折られていった。
 多くの人族は15歳で成人を迎える。ルイも来年には成人だ。何らかの方針を決めなければならない。
 だけど──

 ルイは唇を引き結び、弦を弾く。
 高く、低く、響くその音を聴いた者は、それがまさか14歳の少年が爪弾く音だとは思わなかっただろう。荘厳で、どこか哀愁を感じさせる音は、少年が爪弾くにはあまりに似つかわしくない。
 残響が嗚咽のように秋の夜風に舞った。

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