【SW2.0 エターナルエンパイア】赤髪のフレイ〜プロローグ

 虫の声が響いている。
 ローレンス・ヴェルチは深いため息をつきながら、眼鏡を外して眉間を押さえた。カンテラの蝋燭が小さく揺れ、机の上の羊皮紙に彼の影を躍らせた。机の上には幾枚もの羊皮紙が広げられている。ローレンスは怜悧な瞳をなおさら細めて羊皮紙を睨みつけた。

「どこにあるんだ……」

 呟くように発せられた声は掠れ、濃い疲労の色が滲み出ている。深いため息が再度吐き出された時、扉を叩く音がした。ローレンスは顔を上げた。
 ──こんな時間に。
 外はすでに暗く、多くの村民は眠っているはずだ。外灯もないこの小さな村で、夜に出歩くのは余程の急用か。ローレンスは眼鏡をかけ直し、立ち上がった。扉はしつこく叩かれている。呼び鈴を鳴らさないのは、周囲の村民たちへの配慮なのだろうか。しかし、扉を叩くその音は確かに小さいが、一定の間隔で叩き続けられる様はまるで無遠慮だ。ローレンスは小さく息を吐いて玄関の扉を開く。

「何事だね」

 扉を叩いていた手が、振り上げられた状態で固まった。あれだけ叩いておいて、まさか本当に開くとは思っていなかったかのような反応に、ローレンスは眼をすがめる。
 その人物はフードを深く被っていた。背丈はローレンスの胸に届くかどうかという程度、振り上げた手は小さく、泥で汚れている。ずいぶんと年季の入ったブロードソードを腰から下げ、ソフトレザーも身につけていることから冒険者のように見えた。

「こんな夜更けに、何の用かね」

 声に少し剣呑な空気が混じる。フードの人物はビクリとして固まっていた手を引っ込めた。
 ローレンスは小さく息を吐く。村人ではなかったことに警戒し、脅かしすぎたようだ。ただでさえ、やれ目つきが悪いだの眉間のシワが怖いだのと、昔は冒険者仲間に、今は自分を受け入れてくれた陽気な住人たちに、ずいぶんいじられている。背丈が子どものようであるからといって、人間であるとは限らないのはこの世界の常識だが、無闇に怖がられることも不本意だ。
 ローレンスは警戒は解かないまま、もう一度口を開く。

「用が無いのであれば、お引き取り願いたいのだが」
「ま、待って」

 声に、ローレンスはさらに目をすがめた。
 子どもの声だ。

「灯りが見えたのが、ここだけだったから。道に迷って。泊めてもらえないか」

 少しクセのある交易共通語で言い、子どもはフードを取り払った。
 燃えるような赤い髪だった。ボサボサでまるで整えられていない赤髪は、小さな灯りの中ですら、鮮やかに燃えるようだった。その隙間から覗く大きな瞳は蜂蜜のような金色。その眼の下に真っ黒なクマが居座っているのは、ロクに眠りもせず、この村まで旅してきたからだろうと推測できた。この村には〈守りの剣〉がなく、1日も歩けば蛮族や魔物が蔓延っている地域なのだから。
 ローレンスは子どもをじっと見つめ、ドアに手をかけたまま扉から退く。
「入りたまえ。大したものじゃないが、食事も用意しよう」
 子どもは安堵したように肩を揺らした。


 子どもはキョロキョロと室内を見回した。棚の中には本がびっしりと詰め込まれ、棚の上には丸められた羊皮紙や様々な色の宝石などが並べられている。机の上の羊皮紙を片付け、ローレンスに促されて座ったテーブルには、四脚の椅子が納められている。
 子どもは抱えていた小さな荷物を床に下ろし、少し迷ってからブロードソードとロングマントを外した。

「残り物だが」

 そう言ってローレンスが運んできたのは、琥珀色のスープとパンだった。スープには細かく切った野菜が入っている。腹の虫が盛大な音を立て、子どもは顔を赤くしながらおずおずとスープに手を伸ばす。一口飲み、二口飲み、止まらなくなった。久々の温かい食事に、体中に血液が巡る感じがした。顔と腹がポカポカとして、食べ終わる頃にはうっすらと眠気を覚えるほどだった。

「ーー君は冒険者として働く気はあるか」

 最後の一口を飲み下したところで、ローレンスが口を開いた。金色の瞳で見返すと、ローレンスはテーブルの上に肘をつき、顔の前で指を組んだ。

 冒険者というのは、かつての義勇兵の名残である。
 300年ほど前、蛮族──禍々しい異形の亜人種たち──による大侵略〈大破局(ディアボリック・トライアンフ)〉によって、世界は大きく破壊された。文明は破壊され、国家はバラバラとなり、世界は蛮族によって征服されるかに思えた。
 しかし英雄たちの活躍により、蛮族の王は倒され、蛮族たちによる大侵略は終わりを告げた。
 けれど世界の国々は壊滅的な打撃を受け、道は分断され、文明は大きく後退。その先代文明の生き残りたちが、なんとか文明を維持しようと義勇兵を募り、知識や技術の保全のために活動をしてきた。その大半が、廃墟と化した都市からの文献や魔法の品を探し出し、持ち帰るというものだ。
 ところが、大侵略は終わりを告げたものの、人族同様、蛮族も大陸中に散らばり、あちこちで跳梁跋扈していた為、自然と義勇兵たちの仕事には蛮族との戦いも避けては通れないものとなっていた。
 やがて文明保全の仕事は研究者たちに委ねられ、蛮族との戦いと遺跡探索を行う職業冒険者が生まれたのである。職業冒険者たちが集う「冒険者の店」では、遺跡の情報が多く集まり、研究者たちが依頼を出したり、冒険者たちが依頼を受けたりというギブ&テイクの関係により成り立っている。

「見たところ、君はどこかの「冒険者の店」に登録しているわけでもなさそうだ。宿として我が屋敷を提供するし、寝るや食うに困ることは無くなる。悪くない条件だ」

 子どもは眉間にシワを寄せて、ローレンスを見返し続ける。ローレンスの瞳の奥は、眼鏡に光が反射してよく見えない。

「依頼の内容についても、話をしようか」

 ローレンスは淡々と続けた。
 今から1ヶ月前、ローレンスの父親は亡くなった。このセズウィック村で村長をしていた父親の跡を継ぐために、ローレンスは近隣の街のマギテック協会の導師を辞し戻ってきたのだ。そして父親の遺品を整理していて、興味深い古文書を発見した。

「神紀文明の末期に繁栄したと伝えられている謎の王国“エターナル”が、この村の近くに実在していたらしい。その遺跡を探してもらいたい」

 1万年以上昔とされる、神紀文明シュネルア時代。神が実在するこのラクシア世界における、原初の神と“小さき人々”が平和に暮らしていた時代だ。1万年以上を経た現在でさえ力を失わないほど強力な魔法の品が多く作られており、今ではそれを“神器”と呼ぶ。

「もし遺跡が見つかれば、村の近くに“エターナル”が実在していたという古文書の記述の信憑性が高まる。上手くすれば、遺跡を探索して一攫千金を手に入れようという冒険者たちを呼び集めることができるだろう。わかるかね? これは、村を大きく発展させるための好機なのだ」

 子どもは、ただローレンスを見返す。目の下のクマが深すぎるせいで睨み付けているようにしか見えないその表情からは、逡巡が見て取れた。ローレンスは更に目をすがめる。

「最も、君には選択肢など無いのだがね──ドレイクの子ども」

 子どもが動くよりも遥かに早く、魔導機銃の銃口が額に向けられた。金色の瞳が大きく揺れる。ローレンスは冷ややかに子どもを見下ろした。

「変装は見事なものだった。一般人ならば君の正体に気付くどころか、疑念さえ浮かべなかっただろう。しかし、これでもマギテック協会で導師を勤めた身。たとえ蛮族のエリートであるドレイクであろうと、まだ小童の君の額を打ち抜くことなど、造作もないことなのだよ」

 金色の瞳がギリ、とローレンスを睨め付ける。ローレンスは淡々と続けた。

「これはドレイクである君の命を預かってやろう、という話だ。この世界では破格の扱いであることは、君にも理解してもらえると思うが」

「人族の村を発展させるために、わたしを使うと言うのか。……ドレイクと知っていて?」

 顔を歪ませ、絞り出すような声に、ローレンスの声は変わらない。

「蛮族だからこそ、使うのだよ。君がどうなろうと、私にはメリットしかないのだからね」

 依頼を受ければ、蛮族の王となりうる力を持つドレイクの子どもに首輪をつける事ができる。受けなければ今すぐここで命が終わり、人族にとって脅威が無くなる。確かに、ローレンスにとってはメリットしかないかもしれない。
 そして、ドレイクの子どもにとって、選択肢は無い。

「──わかった」
「契約成立だな」

 ローレンスが魔導機銃をテーブルに置く。
 途端、子どもの額にドッと汗が吹き出した。汗が目に入りそうになって、金色の瞳を閉じて乱暴に汗を拭う。ローレンスは顔色一つ変えず、「部屋へ案内しよう」と荷物とブロードソードを持って、さっさと歩き出した。丸腰になった上でドレイクに背中を向けるその姿に、何をされようが対応する自信があることを痛感する。
 ──このまま走って逃げてしまおうか。
「ああ、そうだ」
 ローレンスが突如振り返り、ギクリと体を硬らせた。

「君、名前は?」

 訝しげに見返すと、ローレンスは片眉を跳ね上げる。

「名前くらい、あるだろう」

 先ほど、子どもを殺そうとした男とは思えぬほど淡々とした口調で、ローレンスは金色の瞳を見つめた。
 ──なんなんだ、この男は。
 そうは思いつつも、いつでも自分を殺せる男に従わない事は、とても利口な事には思えなかった。

「……フレイ」

 * * *

 あてがわれた部屋で一人になると、フレイはベッドに倒れ込んだ。
 荷物を部屋に置いてすぐ、風呂場へ引きずられ猫の子よろしく洗われた。お陰で泥汚れも髪の脂もすっかり落ちたが、気持ち的にはぐったりだ。全く、人族というのはどうしてこうなのだろう。ドレイクと知っても、子どもだからなのか出来損ないだからなのか、容赦がない。圧倒的な体格差があるので、逆らったところで無意味ではあるのだが。
 大きく嘆息すると、ふわりと微かに花の香りがした。布団からだろうか。この屋敷の住人はローレンスだけのようなのに、マメなことだ。
 フレイは布団の上をゴロゴロと転がって、ふわふわとした感触を楽しむ。フレイの体には幾分大きすぎるベッドだが、転がっても落ちる心配はなさそうなところが気に入った。
 ──生き延びることを最優先に考えろ。
 不意にあの男の言葉が蘇って、フレイは眉間にシワを寄せる。
 どいつもこいつもそればかり。疎み、蔑むくせに、そんな自分に『生きろ』と言う。

「矛盾だらけだ」

 ゴロリと転がって天井を仰ぐ。ツキリと背中が痛み、腕で顔を覆う。小さく息を吐いて腕を頭の上へ滑らせると、腕に小さな突起を感じた。──角。

「矛盾は私も、か」

 ドレイク──それは、戦神ダルクレムが最初に作った眷属と言われている。世界最初にして最高の完成度を誇る、ダルクレムの僕。僕たちを人族は蛮族と呼ぶが、彼らは己のことをバルバロスと呼ぶ。
 人の姿とドラゴンの姿を持ち、生まれながらに魔剣を持つドレイクという種は、蛮族の世界でも貴族に相当するのだという。優れた頭脳と優れた身体能力、蛮族の王たる風格を備えた存在。300年前の〈大破局〉で蛮族を率いた王は、ドレイクだったと言う。
 ──自分とはあまりに違いすぎる。
 魔剣を持たず、弱々しい翼さえ今はもう無い。生まれた時から存在自体があやふやで、ドレイクどころか蛮族としても生きられない自分には、今のこの境遇はお誂え向きというやつなのかもしれないとフレイは思った。
 蛮族しても生きられない。人族としても生きられない。どちらからも必要とされず、存在しているだけで討伐の対象になる自分には。
 喉の奥でクツと笑い、フレイは目を閉じた。
 それでも今は、この柔らかな布団に包まれて、怯えることも震えることもなく、ただただ眠れることを、ほんの少しだけ感謝する。

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