金閣寺

三島由紀夫の金閣寺を読んだ。
全く主人公のことを好きになれないし、鶴川だけが癒しの存在だった。
しかし主人公の偏った考え方は人間らしいもので、自分の特徴を強く意識するとこういう思考になるのも頷ける部分もある。
三島由紀夫の作品を読むのは初めてだったが、美しい情景描写の数々はさすがとしか言いようがない。といいつつ、ほとんど読み飛ばしてしまった。感受性に欠けていて申し訳ない。
そんな人間に最も印象に残ったのは、なぜ金閣を燃やすことは思いついても老師を殺すことは思いつかなかったのかという点。老師を殺しても同じような人がまた現れるが、金閣は燃やされたらもう存在しない。人に個性を見ていない彼ならではの感覚だ。
途中からさっさと燃やしたまえと思いながら読んでいたが、最後に燃えてしまうと不思議とその先がもう少し知りたくなる。Wikipediaによれば主人公は金閣を燃やした後ナイフとカルモチンで自殺を試みるようだが、本書ではナイフもカルモチンも投げ捨ててタバコを燻らせている。あまつさえ生きようと思うとの独白もある。
この現実との差異は金閣寺を燃やす大仕事を果たしたのにすぐに後悔の念に駆られるはずがないという推察から生まれているのだろうが、そうだとすれば最後の生きようのあとにすぐさま自殺未遂を図ったことになる。その精神の不安定さは本書全体を通じて描き切っているが、再び波が寄せてしまったということなのだろう。
三島由紀夫の本に触れるのはこれが最後になるかと思われるが、本書はなかなか楽しい文章だった。

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