『財閥の歴史』から紐解く財閥とアメリカの富豪の共通点
『財閥って調べてみるよおもしろいよ』とラジオで耳にし、『財閥の歴史』という本を読んでみました。
そもそも、多くの方にとって通過儀礼である就活で、商社や財閥を耳にしたことがある方は多いのではないでしょうか。
自分の場合、商社自体に興味が薄かったことも大きく、三菱・住友・三井の差は全くわかっていなかったのですが、その出自を読み解くことでDNAを覗き見ることができ、彼らの違いが読み解けてきました。
また、大きく飛躍する企業とそうでなかった企業の差が、歴史軸から読み解けるというのも非常に示唆に富むものでした。。
気になった点をいくつか紹介してみます。
そもそも財閥とは
いざ聞かれてみると、古くから豪商で、独占していた企業..??とぼんやりとしか持てていなかったイメージを言葉に落としてくれていました。
本書では、「同族支配」「多角化」「独占的支配(または寡占的支配)」の三要素が財閥の特質だと考えたい
そんな財閥ですが、三井や住友は、もともと豪商であり、当時のイノベーションの波に乗って大きく成長した一方で、豪商でなく、裸一貫から成り上がり、財閥まで至ったのが岩崎弥太郎率いる三菱だったそう。
成功確度の大小はあれど、出自に関わらず、大きく成功することができたわけですね。では、出自が成功に関わらないとしたら、何が財閥を財閥足らしめたのか。
財閥を財閥足らしめた要因
時代のうねりを捉え、大きく飛躍できたか否か。それが大きな要因だったそう。
戦時中の需要の伸びによって成長した自動車業界、インターネットやスマホの誕生によって生まれたfacebookやGoogle。今でもなお、その時代に沿った企業が、その地位を築いているように思います。
出自には関係なくすべての財閥に共通するのは、農業国家だった日本が工業国家へと生まれ変わるこの大きなうねりに見事に乗った点だと言えよう。工業化の流れを理解していた者は単なる富豪から財閥へと羽化したし、そうでない者は後の世代から財閥と呼ばれることはなかった。
アメリカと日本に見える富豪の共通点
結論は”時代の地殻変動が起きるタイミングで、実力が伴っていること”でした。
生まれた時代がすべて、と言われると、何とも世知辛い、、ですが、良し悪しではなく、事実だけ並べればそうなっている訳で。
浅野以外は天保生まれで、しかも天保三年から天保十二年の一〇年間にすっぽり収まる。あえてつけ加えると、財界の背後で暗躍した井上馨も天保六年生まれで、やはりその一〇年間に含まれる。
さらに、のちに七大財閥(表の◎)と呼ばれるうち、ルーツが江戸時代の豪商でない五財閥を対象にすると、天保生まれの創始者は古河市兵衛、岩崎弥太郎、大倉喜八郎、安田善次郎の四人にものぼることがわかる。このように見ると、天保年間に生まれた人物は財閥として成り上がる条件の一つだったのではないか――とも思いたくなる。
何故かくも同時代のアメリカ人に金持ちが集中しているのか。それは一八六〇〜七〇年代のアメリカ経済は、鉄道が敷かれウォール街が注目を集めた、いわば独立以来最大の転換期だった。この転換期の年齢が問題だった、とグラッドウェルは指摘する。つまり若過ぎても年をとり過ぎていても好機はつかめない。成功するには転換期に脂ののりきった三〇歳から四〇歳であることが好ましい。
幕末時代にも通ずる話
少し話は外れますが、同時に以前こちらのブログにあった内容が頭をよぎりました。
僕は、楽天を辞めたあとに旧長州藩と薩摩藩の足跡をたどる旅をしました。それで気づいたのですが、高杉晋作と桂小五郎の家は、50メートルと離れていないんです。大久保利通と西郷隆盛の家は300メートルぐらいの距離で、同じ町内です。これは「ライト・タイム、ライト・プレイス」なんですね。いい時期に居合せれば、人間というのは誰でもなんでもできるんだ、と。
生まれる場所、時代によって、大きな可能性の有無が変わる。ただ、生まれる場所、時代は選べない。そんな矛盾を孕む中でもRight time, Right placeは存在しているのかなと。
他者から見ればおかしくても、フツフツとした熱量が生まれる場所を見つけ、そこで切磋琢磨していく。
「要は時代だよ」と言われると、それを目の前に絶望感が漂うのみですが、その中でもできることがあるからこそ、自分の周りにロールモデルがたくさんいるんですよね。
歴史を知って、改めて身の振り方を考えるきっかけになりました。
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