自分らしさ

 とはなにか。


 自分の一番の理解者は自分しかなり得ないのだと考える。他人へ理解の求めるというの結局エゴでしかなく、強要にも似たようなものだと思う。他人は所詮他人なのである。


 つまりは、自分らしさとはあくまで自分の中で確立するものであり、自覚していくことが自己の肯定にも繋がっていくのだと考える。他覚的なものではなく。


 と、仮定することはできても実践とは難しいものである。現に 自分らしさ とは? と問われるとどのように答えるのだろう。


 そもそも 自分らしさ の定義とは何か。


 所謂 ありのまま というやつなんだろうが、素直だとか正直だとか。しかし喜怒哀楽の表現を実直にすることは 自分らしい と言えるのか。
 その表現の出し入れを行うことで、例えば時には穏やかである振る舞いを行おうとする様もまた 自分らしい のではないか。


 ただ、そこに苦しみを伴うようであればその点については損なっているような気がしている。ただ、そういった精神的な負担を避ける様や敢えて受容するといった様もまた 自分らしさ であるのか。

 一方で、他者からの評価も含めることができる言葉としては

 長所 個性 持ち味 独創性 自我同一性

などが挙げられるだろう。勿論、ここに他者からの評価を当てはめることで輪郭を形成していくこともまた一つの手段であると考える。

 しかし、それらはあくまで他者評価に過ぎずその形成には具体性を欠き大半は抽象的にもなるだろう。それらをより具体性を持った形成とするには自覚が不可欠であると考える。


 冒頭では他者へ理解を強いることの不可解さについて触れているが、一方で他者からの抽象性は自覚すべき具体性をより鮮明にしてくれるのではないか、と考えることができると思う。


 例えば、他者から 優しい と評される場合

 優しいとしても自分を 優しい と評する者に本当に優しい者はいない(偏見)ことから
他者からの評価により気付き考えさせられることになり、自分の中の優しさを自覚し
どういった行動言動が 優しい ことに繋がっているのか
 己を顧みる機会を与えてくれ、自分の中の優しさについて考えられるようになる。


 というのはケースとして挙げられると思う。
 ここで他者評価に対し拒絶してしまうこともあるだろうが、受容しないのであれば他の点について自覚することでそれ以上の進展を試みるべきなのだろうと思う。


 連々書きましたが、自己完結できなければできないでも、そうでもして確立できたらいいよね〜ってお話でした。


 ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?