ソクラテス:産婆と虻
哲学者の紹介をだれから始めるのか。知名度からいってもソクラテスで決まりでしょう。
時代背景
いまのところ、細かい年代を記さないポリシーでいきたいと思います。
アテナイが結構元気だったころです。プラトンやアリストテレスの時代になると、アテナイは対外的に衰退していきます。
どんな人物
戦闘力は最強クラス
当時のギリシャでは市民=政治に関与する権利のある人であり、戦争になった場合戦士です。お金持ちの市民は馬に乗ったり、いい装備で戦ったそうですが、ソクラテスは重甲兵(中ぐらい)でした。しかし圧倒的に強かったそうです。撤退する局面ではシンガリを務め、敵側の将軍が「ソクラテス(レベルの戦士)がもう一人いたら負けていた」と言ったという逸話があります。
頭がよい、人に教えるのが上手
頭がよい、と言われている人のところに行っては、その人を下から論破するような人でした。ただしそれは、頭がよい(と世間で評判の)人に対しての態度であって、奴隷(市民の権利のない人)や子どもなど色んな人に、例えば幾何学の問題を教えていたようです。正確には教えていたというより、予備知識がない人相手に、話をしながら正解を導き出すということ(産婆術といわれるものです)をするのが好きだったようです。今だったらよいコーチになれそうですね。
ブサイク
これは、プラトンが言っているので、まぁ、そうだったんでしょう。ちなみにギリシャ人って肌が白く書かれた絵画が残ってますけど、あれは後世の人が白人に寄せていますね。実際は肌は茶色で縮れ毛だったそうです。いや、それとブサイクは関係なくて、そういう人たちの中で相対的にイケメンではなかったということですね(年下のイケメンにモテていたようですが)。
たまに神の声が聞こえる
ダイモンという神さまの声(幻聴)が聞こえたり、集中して考えはじめると気がついたら迷子になるぐらいすごい遠いところまで歩いていったりしたそうです。
何をした
これは2つの側面があります
プラトンの先生
この意味では、明らかに哲学の源流の一人と言えます。ただ、イデア論なり徳についての考えなどは、(プラトンの本の中で)ソクラテスが言っているように書いてありますが、実際のところはほぼ、プラトンの考えではないかと言われています。ソクラテスは著作を残さなかったので、確かなことは分かりません。
虻(アブ)
一方で、こちらはほぼ確実に分かっていることです。ソクラテスは「素性よく大きいが鈍いところのある馬に譬えられた都市国家アテナイにうるさくつきまとい覚醒をうながした一匹の虻」でした。また、周囲の人からも(悪口として)虻と言われていたようです。賢い人には論破の形で、そうでない人には質問しながらの対話の中で、当時常識と思われていたことについて、よく考えたら実はそれが論理的に破綻していたり、目的に対して適切な手段じゃないよね、といったことを証明して回っていたわけです。
結果として死刑になった
正式な裁判を経て、死刑になりました。協力者もいて逃亡は簡単でしたが、自分で毒を飲んで死んだというのは有名ですね。死刑の理由は、みんなが信じているのと違う神(ダイモン)を信じてるからと、か訴状には書いてあったそうですが、実際の理由としては「虻」の活動が、市民の政治活動を撹乱するもので、アテナイの有力者から鬱陶しいと思われたからだと考えられています。
現代的評価☆無し
ここの部分は完全に主観で5段階評価をするのですが、評価基準は著作を判断材料にし、そのテキストに現代的有効性があるかどうかになります。ポイントは、評価する哲学者の著作が後世に与えた影響とかではなく、今、ビジネスマンや学生がその本を読んで役に立つ部分があるかどうかです。そして、そう考える理由をいくつか挙げていきます。
ところが、ソクラテスは著作を残していません。したがって、評価なしの意味で空白です。トップバッターだからこその例外としてご容赦ください。
その他の小ネタ
最初の哲学者ではない
ソクラテスからギリシャ哲学がはじまったということではないんです。ソクラテス以前の哲学者たちを総称してドイツ語でVorsokratiker(フォアゾクラティカー)と言ったりします。
「哲学者」は最初は悪口だった
プラトンの著作を読んでいると、ソフィストの悪口が結構書いてあります。あれはどういうことかというと、当時はソフィスト(弁論が上手な人)の方が、社会的な立場が上だったんですね。だからこそ、ソフィストとの境界線を明確にすることで「哲学が形作られた」という側面があります。これはギリシャ哲学に限らず、例えば学問分野が分かれていくときにもよくあることなので、覚えておくといいかもしれません。ようするに、「想定されていた敵は誰か」を知ることは思想の背景を効率的に知るポイントです。
話がそれましたが、philosopher(知を愛するもの)というのは、当時ソフィストから言われた悪口で、「哲学なんて、宝探しのようなもので、みつかりっこないものを探し続けているバカどもだ」という文脈で名付けられたそうです。つまり、哲学者という言葉の名付け親は、敵であるソフィストだったんです。
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