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民主主義は時代遅れなのか

民主主義は時代遅れになりました。たまにタイトル回収を最後に回すこともありますが、今回はさくっと書いておきます。
この手のテーマのときには毎度のアナウンスですが、政治学、歴史学、経済学といった専門知識に疎い視点……哲学の側面+ビジネスの視点からつらつらと書きたいと思います。

今になって言われたことではない

 少なくとも哲学の領域ではわりと長い時間軸で見て、民主主義は、貶されるか、消去法で選択されるか、(逐次)刷新を期待されるものでした。その文脈は、「時代遅れ」という観点からだけではないですが、その欠点はずっと前から言われていた、ということです。例を挙げればきりがないので、そこそこ近いところで二冊だけ。

ネグリの中では読みやすい本だと思います。もちろん、現代の状況からみれば合わない――つまり古さもありますが、ネグリの主張が明確にされている良書です。

ランシエールは、アーレントの記事で紹介したと思います。その時の本と内容はかぶっているのですが、より直接的なものとして。もっとも、本のタイトルの直接的な印象と違って、ランシエールは「機能不全の」民主主義に対して、機能不全ゆえに肯定的ですが。

構造的欠点

大きな枠組み

 民主主義で全体主義や独裁主義を防ぐことは不可能だ、ということについては過去の記事でもさらっと触れてきました。しかし、さすがに現代の頭のいい人集団(学者よりもむしろ官僚)は、そんなこと知っています。したがって、現代の民主主義は全体主義や独裁主義に陥らない仕組みや手順といったものを(国によってそれぞれではあるものの)組み込んでいます。
 ざっくりいえば、民主主義は、意思決定を行う際に利害関係者の意見を広く聞くというプロセスを踏むことを、全体主義や独裁主義に陥らないためのセーフティロックにしてきました。そのことによる現実的な欠点は何か、分かりますか。もちろん、意思決定が遅くなることです。これは、民主主義がうまく機能していないから「遅い」のではなく、うまく機能しているから「遅い」のです。言い換えると、手続き(=法)的に正しいのです。
 さて、ビジネスでもう聞き飽きた言葉は、今は「変化の早い時代」という言葉です。変化の早い時代で意思決定の遅さは、機会損失をはじめとした不利益に直結します。そういうわけで、少なくともビジネスの前線では、民主主義的手続きは、絶対条件にはなっていないと思います(もちろん、不正や独裁は発生しやすくなります。だからこそ、ビジネス界隈ではガバナンス、ガバナンスとうるさいのでしょう)。また、そういう「遅さ」についての悪い意味での形容に官僚的(ビューロクラティック)という言葉が使われたりします。民主主義と官僚主義との関係は大事なので、これも後ほど取り上げます。
 とりあえず、ポイントとしておさえておくべきことは、民主主義の不全は日本に限らないということです。私が日本に住んでますから、日本の話題(低成長など)を出しますが、それは、民主主義の不全の原因ではありません。並行して起こっている出来事です。

機能不全の身近な例

 ということで、いきなり日本の事例を思い浮かべていただくことになるのですが、どこの街とはいいません。とりあえず皆さんがそうかなと思う街を念頭に置いてもらって……基本的に街の再開発は合理的な再開発になりません。まず、時間がかかりすぎる。もしくは大事な部分は手を付けられないまま。あるいは、新しい設備(インフラ)が飛び地になったり、電車を高架にしたのに駅付近の主要道路が直線で結ばれないといったクソみたいな状況ってありませんか。理由としては、土地所有者が協力しなかったり、そもそも権利者と連絡が取れない、また、権利関係が(個人・法人入り乱れ)複雑すぎて、合意を形成することが現実的は不可能といったことが原因だと聞いています。さて……こういう状況って、民主主義ならではのダメダメポイントなんです。個人の権利を大事にすることを原則にしているからですね。でも、主要駅の中心地が便利な作りになったり、交通の便がよくなるとか、例えば通学する子どもたちが安全に歩ける道路を整備することって、みんなのためになりますよね。ある種の独裁国家なら、このような「みんなのためになること」など、なんの問題もなくしたがって解決という言葉はふさわしくなく)単に実行されます。その「みんなのためになること」が上手にできないのが民主主義です。繰り返しますが、これは民主主義の機能不全ではないです。機能しているからできないんです。

デモクラシーとビューロクラシーの相性

 確認しておくべきこととして、民主主義はかつては良い仕組みだったし、進歩でした。また、民主主義と官僚主義とは(ジャンルが違うので並べて議論するものではないのですが)悪い意味で相性がいいです。官僚主義は、時代遅れや非効率の代名詞みたいになっていますが、そもそも、官僚制(ビューロクラシー)は、意思決定を迅速化し、その実行を確実に行うための役割分担に最適な組織形態でした。例えば、ピラミッド型でない組織形態の軍隊はありますか? 特務部隊などの例外を除けば無いはずです。なぜなら、ビューロクラシーは最速でかつ、責任主体が明らかだからです。えー……その、私は軍事にも詳しくないので、例えを変えるなら、鬼殺隊です。階級があったり、明確なトップがいたりとピラミッドでしょ(実は鬼側もピラミッドです。この対照構造には何かの意図があるんでしょうね)。もちろん、時間経過とともにビューロクラシーは複雑化したり、一枚岩でなくなったりします(呪術廻戦でいう、東京校と京都校、あるいは内部の裏切り者など)。こういう複雑化と民主主義的な(個人を最小単位とした)さまざま利権の調整(あるいはその不全)は「悪い意味」での相性のよさということです。
 が、上手に機能させれば、ビューロクラシーは依然として強い組織の一つのテンプレートです。だからこそ、ビジネスの組織のマジョリティはビューロクラシーです。この場合、独裁制的な民主主義になっている場合もあるでしょうが、別に企業の中では、それでいいわけです。不正やハラスメントはあってはいけませんが、独裁制的でない民主主義にそれらが無いのか、というと普通にある(責任の所在が明らかでないとか)ので、そこは結果的に、不正やハラスメントが無ければそれでいいのです。

「時代遅れ」とはこういうこと

 単位が、組織よりも国に近づくことになりますが、なぜ民主主義が時代遅れになったのでしょうか。一つは、先に書いた時間経過による複雑化です。ただ、このことも構造的に理解しておく必要があります。つまり、なぜ時間経過で複雑化するか。その理由の一つは、かつては(国なり組織なり「集団」の)目的がシンプル(共通のものになりやすい)だったからです。しかし、成長とは、その種の目的が多様化することです。そうなると、全員の合意形成を原則とする民主主義はだんだん足枷になっていきます。
 もう一つは、(同じく「集団」の)構成員の年齢構成です。構成員の比率が「若い」と未来志向の意思決定になります。逆に、「老いる」と現状維持だったり、問題の先送りの意思決定になります。このことは、民主主義の構造上当然のことで、民主主義が悪いのではありませんし、また、構成員の志が悪いのでもありません。そういうものなんです。
 まぁ、ぶっちゃけ表現になりますが、シルバーデモクラシーは、機能不全ではないけれど、それゆえ根深い害(悪とまでは言いません)であって、さっさと仕組み的に手を切るべきものです。とはいえ、民主主義を(擬人化しながら)擁護すると、「(構成員が)そんなに長生きすると思ってなかったんだよね」といったところです。民主主義はそもそもそういう設計じゃなかった、ということを覚えておきましょう。
 ちょっと、余談になりますが、ローティ(とラトゥール)が「トクヴィルに帰れ」とかいうのは、無理ですよね。世界情勢とか環境が後戻りすることはないんですから。トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』は、たしかにデモクラシーのあり方を示してくれますが、それだって、ようするに最初(設計当初)だから良かったというだけです。あれを現代の指針と考えると間違うことの方が多いでしょう。

人口構成と産業構造

人口構成がピラミッドじゃない

 とはいえ、人が長生きすることは別に悪いことではないはずです。悪い(機能不全を引き起こす)のは全体の構成の形がピラミッドでなくなることです。ようするに、若い人が減るということですが、このデメリットは、いろんな専門家が言っているので、網羅的には取り上げません。民主主義と関係しそうなところだけピックアップします。
 まず、若い人は労働人口であるとともに消費人口でもあります。ここが経済を支えるボリュームゾーンであることは間違いありません。その若い人を増やせなかった理由は、これまた沢山あります。日本で少子高齢化が相対的に顕著なのは、ようするに、他の国ならやっているような若い人の得になることをしなかったからです。ちょっとだけ具体例を出すと、教育費は家計任せでしたし、育休をとったらキャリアが途絶えることも普通でした。またシングルマザーへの(社会的な)風当たりも冷たかったですね。これらは、大なり小なり改善されましたが、それらが足りなかったり、対策が遅すぎました。この「遅い」というのは致命的で、一度減り始めると、挽回できないからです。人口に関しては(移民と大量に受け入れるという例外を除けば)ほぼ未来が決定します。まぁ、その……だからもう、確定的に手遅れなんですけど、それはテーマじゃないのでおいときます。
 ではなぜ、若い人の得になることができなかったのか。(選挙の)票につながらないからです。逆に、老齢者の得になることをすると、票につながる。これが少なくとも日本における民主主義の限界の一つです。でも、先進諸外国は民主主義で(日本よりは)成功させているので、民主主義だからだめだった、ということにはならない……と思うのですが、どうでしょうか。

産業構造のピラミッド

 日本の主要産業は、自動車とか家電とか住宅とか、それにかつては「日の丸」半導体もありました。それで、「ものづくり」が日本産業の特徴と言われてましたし、いまだに言われますが、ものづくりは、基本ピラミッド構造です。一つの企業の中もそうですが、下請け、孫請けといったように産業の構造がピラミッドになります。それは若干の変化(サプライチェーンの複数化など)はあれ現在も続いています。
 お分かりのように、人口構成の(かつての)ピラミッド型+産業構造のピラミッドの組み合わせは強力で、一世を風靡するほどのものでした。不思議なのは、産業構造は現在まで維持しながら、人口構成を維持する努力をほとんどしなかったことです。
 あるいは逆に、産業構造をピラミッドでなくすという選択肢もありました。これは後付けの評価にはなるのですが、経済の専門家によっては、遅くとも2000年代初頭には、産業構造を変えなければいけなかった、という人もいます。半導体を例に挙げると、世界シェア1位……つまりすごく調子がよかったころ(ITバブルが弾ける前)にすでに、「このまま(の産業構造)だと半導体業界は危ないよ」と警鐘を鳴らす業界当事者もいたそうです。ところが、そういった人は「危機を煽るだけの無責任なやつ」扱いされました。結果は……今です。まぁ、株とか為替とかでも、後付けならなんとでも言えるわけですが、これは単なる儲け話じゃなくて、これからどうするかの問題です。私は、日本が従来型のものづくりを手放すべきだという主張に、「そうだよね」と思っているわけではありません。つまり、ビューロクラシーと同じです。たしかに局所的には時代遅れの特徴や部分もあるだろう。しかし、そうでない部分には、むしろ(時代遅れが確定している)民主主義へのオルタナティブがあり得る、と思っています。

補足的情報

新興国と民主主義

 これから成長していく、後進資源国からすれば、意思決定が遅くなる民主主義を(グローバルスタンダードとして)押し付けられるのはたまったもんじゃない。と思うことは、普通です。少し丁寧に考えると、彼らは現代においてこれから成長しようとしているのであって、先進国の過去のある時点のよう――つまり先に書いた「目的がシンプル」という状況――ではないということはおさえておきましょう。ところが、民主主義に変わる手近なオルタナティブとなると、(形態はどうあれ)強権国家ということになります。そんなに遠くない将来、世界的に民主主義国家がマイノリティになることは、論理的にはありえます。このことは、覚えておきましょう。

先進国と民主主義

 とりあえず民主主義を貫いていますね。資本主義が宗教である(アガンベン)のと同じように、もしかすると民主主義も宗教なのかもしれません。とはいえ、国によって違いはあれど、何らかの形で「困っています」。もし仮に、民主主義がその困難の原因だったなら、原因を手段にしても問題の解決はできないのですが、どうなるでしょうね。

さいごに

 民主主義は手段です……こういう書き方をすると、当然「目的を大事にしろ」ということになりますが、そういう本質主義的なエクリチュールは、どちらかというと合理性から離れていくか、「目的(例えば多くの人の幸せ)」のために不要な部分をデリートする虐殺器官に直結すると思っています。だから、私は手前で止めます。「民主主義は手段」もしくは「道具」。つまり、こだわってまで大事にするものじゃないってことです(言い換えると、宗教にしてしまってはいけないということです)。自動車があるのに、わざわざ馬車使いますか? それは観光用でしょ。レジャーです。「暮らし」は、レジャーじゃありません。日々の暮らしと、次の世代の未来が賭け金になっているとき、どうすればそれらを守っていけるのか。これを考えるのは、哲学じゃないです。諸科学の学者です(アカデミシャンの哲学者は学者に含まれます)。学者たちこそがそれ(よりよい民主主義を考えること)を担う※のであり、賭けに失敗したら、罰こそないけれど(個人なり集団なりが)今まで勉強や努力してきたことや使ったお金は無駄だったと評価されるということです。哲学はあれです。梟なので。迫り来る黄昏に飛び立つには、ちょっとまだ正午過ぎですね。


学術的なアウトプットの例としては、民主主義・自由主義が、強権国家との比較において経済発展を有意に保証するわけではないという数値分析や、国の(構成員の状況)によっては、選挙制度が、民主化よりも対立や分断を激化する可能性についての指摘などがある。これらを多くの学問分野の角度から「科学的に」調べていくことは、政治にはできない科学の大事な役割だと思います。

こだわってはいけない=宗教にしてはいけない、という点について。時事を鑑みるに、それ(民主主義)を賭けて戦争するほどの、たいしたもんじゃなっすよ、マジで。まぁ……宗教戦争なんて、だいたいそんなもんかもしれませんけどね。


 一方で、企業。企業内部の統治は、民主主義的であることが絶対ではありません。そのことを最大限利用すべきです。国のことなど学者に任せて、バリバリ儲け(企業活動を行い)ましょう。会社という組織形態が、企業活動を行う(トライ&エラーの)結果としてオルタナティブを示す。暮らしに直結しているのは学者ではなく企業です。こっち(民主主義にオルタナティブを示すこと)については、哲学は過去の試みの整理含め、役に立つ場面はきっとあるでしょう。

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