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[読書ノート]最終回

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 最後の講義(1984年3月28日)の最後の言葉――「以上です。こうした分析の一般的枠組みについてみなさんにお話すべきことがあったのですが、しかしもう遅いのでここまでにしましょう。どうもありがとうございました。」
 この「お話すべきこと」に該当する、草稿として遺され語られることのなかったテクストの内容を、追加の言葉を補ったり変えたりしながら(テクストの構成を相当変えつつ)整理します。

 〈自己への配慮〉という実践が目的にしたのは、振る舞い方エートスを構成することである。自己の実践についての研究は、エートスを構成するために〈自己への配慮〉として用いられた、様々な処方や技術などの具体的な様々な形態の研究であった。そしてパレーシアという概念は――もともと政治的なものであったが、その本来の意味を失うことなく、しかし屈折しつつ、〈自己への配慮〉の原則と結びつく。

 そうした、自己との関係のなかで、〈真理〉〈真なること〉をめぐるゲーム【なにが真であるかを、いわば掛け金にした、様々なプレイヤー(哲学者、弁論家、賢者、君主など)の理論的/実践的練り上げ】に関して問いを立てることができ、そしてその問いには、いくつもの解答があった。
 ①そのうちのひとつが、学ぶべきことの総体マテーマタ――世界や生、人間存在に関する根本的で実践的な知識(命題)とそれを身につけるというやり方。
 ②もうひとつは、マテーマタには属さない……つまり教えられたり学ばれたりすることのない、自己の吟味というやり方。すなわち、忍耐の試練と、それがビオスにおける表れ【実際の生活において他人から見られること、および自分が感じること】の点検という修練アスケーシス
 このやり方の基礎は、何も隠蔽せず危険リスクを承知で真理を語るという、〈真理の勇気〉という態度を基盤にすることではじめて可能になり、その実践のなかに自らの基礎を見いだすもの。

 ①も②も〈自己への配慮〉の実践であり、真理ゲームであった。同じように、〈自己への配慮〉に結びついたパレーシアについて――というよりも、パレーシア的ゲームが①と②にあり、それぞれ別の様相のもとにそれが現れる。
 ①助けを与え導きたいと思う相手に向かって真理を語る勇気
 ②万難を排して自己に関する真理を表明し、自己をあるがままに示す勇気
 ここ(②)にキュニコス派が現れる。キュニコス派は真理を語る大胆さを持ち、規則、しきたり、慣習、習慣(ノミスマ)を批判し、君主や有力者たちに極めて無遠慮かつ攻撃的に言葉をかけることによって、伝統的な哲学的生(のスタイル)および政治的パレーシアの諸機能を、反転させ、誇大化したのだ。

 テクスト(残された学説の量や質)にも恵まれず、哲学の歴史において周縁的で【直後にキリスト教という「宗教」に引き継がれるという意味で哲学にとって】境界的なものであったキュニコス主義を、古代倫理におけるひとつの中心的形象として強調したわけだが、実際には、あくまで上述のように〈自己への配慮〉と〈真理の勇気〉にかかわるテーマのあいだで繰り広げられる二つの境界のうちの一つである。【当然、プラトンの系譜もストア派などを経由しながらキリスト教に引き継がれる。つまり、二つの――互いに還元不可能ながらも歴史のなかで絡まり、ときに対立しつつも相互浸透してきた、西欧思想の起源が標定されたということ】

 全体として、次のように言うことができるだろう。まず、古代哲学は、自己への配慮の原則(自己自身に専心する義務)と、真理を語り表明する勇気の要請の二つを互いに結びつけていた。
 その結びつけ方は、実際には数多くの異なるやり方があったが、二つの対立する方式(プラトンの方式とキュニコス主義の方式)を認めることができた。それらは、それぞれのやり方で、ソクラテス的な配慮エピメレイアとパレーシアをとり上げ直したものである。その意味で、それらは互いに向かい合っていたし、哲学の歴史のなかに相互に異なる系譜を生じさせた形式を体現している。
 (その系譜の)一方には、A プシュケー、B 自己の認識、C 浄化の作業、D 他界への接近があり、そして他方には、A' ビオス、B' 自己自身の試練、C' 動物性への還元、D' この世における世界に対する闘いがあるということだ。

 プラトンの方式。この方式は、非常に顕著にマテーマタの重要性と広がりを強調する。この方式は、自己認識とは、「自己の自己による熟視および魂がそれに固有の存在においてそうであるところのものの存在論的再認である」という形式を与える。
 結果として、この方式は、二重の分裂を打ち立てる傾向を持つ。すなわち、魂と身体の分裂、そして真の世界と仮象の世界との分裂。
 最後に、この方式が著しく重要なのは、それが、自己の配慮のこの形式を形而上学の創設に結びつけることができたということである。

 キュニコス主義の方式。この方式は、学ぶべき知識マテーマタの領域を可能な限り縮減し、訓練、試練、忍耐といった実践に特権的形態を与える。この方式は、また、人間存在をその動物的真理をめぐる簡素化のなかで表明しようとする。
 結果として、形而上学に対して後退することになったし、また形而上学の偉大な歴史的後裔【ようするに西欧の伝統的哲学】と無縁なままにとどまることにもなった。
 しかし、キュニコス主義の方式は、西欧の歴史のなかに、ある種の生の様式、ある種のビオスを残したのであり、それは、哲学の伝統の内/外(いずれにしても思想)のある種の方式として、現代に至るまで役割を果たしてきたのだ。

 しかし、最後に私が強調しておきたいのは以下のことである。すなわち、真理が創設される際には必ずそこに他性の措定があるということだ。真理、それは決して、同じものではない。真理は、他界および別の生の形式においてしかありえないのだ。

以上です。どうもありがとうございました。

コメント

 唐突な終わり。ノミスマ(読書ノートを書くにあたってのポリシーや決め事)に対しての例外。結果として、(記事としては)フーコー自身のテクストからの最大の歪み。これらは、ひとつの演出ではありますが、私なりに最も妥当な終え方と思えるものでもあります。
 読書ノートという形式をとった、哲学者本人のテクスト読解は、最終回です。
 しかし、もちろん、なかば義務的な仕事が私には残っており、おそらく2回の補遺で済ませようと思っています。

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