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ニーチェ:『道徳の系譜』

ニーチェの哲学、それはカントのやり直しです。

はじめに

 ニーチェは、とても人気にある哲学者だと思います。一方でニーチェの哲学をどのように位置づけるかは、なかなか難しい。ニヒリズム(これはまぁ、そうです)。実存主義(これは違うでしょうね)。はたまたベルクソンと合わせて生の哲学(うーん、無理があります)。人によっては、ニーチェは(反哲学という意味ではなくストレートに)哲学にならない、という意見もあります。
 ただ、色んな本から部分的にニーチェの言葉を拾ってくる……それは哲学ではないです。ニーチェの文章(アフォリズム:箴言集)を哲学として捉えるなら、私は、認識の限界に迫ったカントのやり直しであると考えます。この記事では、少し丁寧にそれを紹介していこうと思います。

時代背景

 ニーチェはドイツ、イタリア、スイスなど転々し、特にスイスにいた時間が長いです。とはいえ、ドイツ語で本を出版しているので、当時のドイツの背景を簡単に記しておきましょう。哲学の界隈ではマルクスが主要な著作を発表している時期でした。ただ、ニーチェとマルクスとの哲学的な関係はないと考えていいです。ニーチェの著作の中でヘーゲル(およびより人間性を強調したフォイエルバッハ)批判はしばしば目にしますけれど。
 政治的状況としては、フランスとの戦争(ニーチェは当時スイス国籍でしたが衛生看護兵として参戦)を経て、ドイツ帝国が成立するという時代に生きました。ただ、ドイツに対しては(統一前も後も)一貫して距離をとっていました。

どんな人物

文献学の教授(の時期があった)

 いまでいう、内向的という特徴でおおよそイメージされるような人物です。人生のそれぞれの局面で、友人といえる人は一人か二人、その人たちと疎遠になったら別の友人が一人か二人といった感じです。
 高校とはちょっと違うんですが、全寮制の学院に授業料免除で入学し、成績は首席でした。六年間の間にはハメを外した時期もありましたが、卒業。ボン大学に入学して、文献学を専攻します。学生二年目で兵役(砲兵)に就くんですが、落馬の事故で五ヶ月ぐらい療養生活。この兵役中に、文献学の懸賞論文当選が決まり、学者としての大きな成果となりました。ただ、ニーチェとしては文献学より哲学に心が傾いていたようですが、(スイスの)バーゼル大学から、(学位をとってないけど特別待遇だよと)誘いがあり、古典文献学の教授になります。
 教授時代は、下宿生活でしたが、優雅に暮らしたようです。かなりのオシャレをして、劇を見たり、小旅行したり、派手にお金を使ってようですね。ここで先に触れた普仏戦争がはじまり、出征しますが、赤痢などの病気になって、軍務放免、実家に戻ります。このとき病気に苦しみつつ、『悲劇の誕生』を書きました。本としてはニーチェの処女作で、興味がある方は是非読んでみてほしい、よい本ですが、ギリシャの文化について「文献学」としてはありえないアプローチで解釈したもんですから、この本のせいで学問の世界から出禁をくらいます。

放浪、隠遁暮らし

 ただ、大学教授を辞めることになったのは体調のせいです。今後、経済的には(教授退官による)年金ぐらしということになります。病気なので身の回りの世話が必要なんですが、妹が世話してくれました。献身的な友人にも恵まれ、『反時代的考察』などはその友人の手伝いなしに出版することはできなかったでしょう。この本は、比較的よく売れ、当時話題になったようです。しかしその後、だんだん本を出しても評判になることがなくなります。

何をした

告ってフラれた

 ルー・ザロメに求婚したというのは有名ですね。ちょっと年が離れすぎていた、ですかね。断られました。ルーは当時の知識人界隈のいわばアイドルですね。フロイトに心理学を教わったりもしています。ただ、この一件で妹との関係が悪くなり、ニーチェはますます孤独になります。

痴呆の11年間

 ニーチェが正気を失って死んだというのも、よく知られていることかもしれません。ただそれは11年間もだったんです。世話をしたのは、お母さんと妹です。ニーチェの書簡などでは妹の悪口がたくさん書いてありますが、すっごいお世話になっているんですね。
 で、原因は諸説あります。梅毒説もありうるけど決定的ではないようです。ただ、そもそも躁鬱かあるいは分裂症だったろう、というところまでは確証があるのですが、そもそも躁鬱と分裂症は別の病気ですから、曖昧といえば曖昧です。

読むならこれ!『道徳の系譜』

 『ツァラトゥストラ』には、超人や永劫回帰という運命愛といえるようなものが、文学的な物語で描かれます。また、長らく主著と言われていた『権力への意志』は妹の捏造(この詳細は割愛します)であると分かっています。しかし、たしかに『権力への意志』は主著の一部でした。というのは、(ニーチェが生前出版した)『善悪の彼岸』と『道徳の系譜』で採用されなかったアフォリズムを集めたものだからです。ということで、ニーチェ哲学の到達点として道徳の系譜を推したいと思います。

現代的評価:★★★★

哲学に「価値(づけ)」という概念を導入

 私たちは、ものごとやできごとを評価します。評価というのは価値判断です。ところが、その価値判断は、事前に判断基準としての価値観によってなされるわけです。つまり、できごとの価値は、そのできごとそのものの価値ではなくて、評価し判断する人の価値観だということです。
 もっと、簡単に言い換えましょう。「その意見、誰が言っているの」に注目するということです。これまでの哲学は、普遍性や観念という言葉で、の部分を隠してきました。あるいは、時代背景や状況と切り離された真理の探求のように考えられていました。そうではなく、注目すべきは、価値づけているもの(人)、意味づけられるプロセスだ、ということなんです。

系譜学という方法

 そのようなプロセスを追う方法がニーチェのいう系譜学です。価値の起源を探っていく。歴史的な大きな出来事かもしれないし、一人の思想家かもしれない。そして、その価値が前提として含んでいる差異(というより差別)の構造を捉えることです。系譜学は、たしかに起源を遡るわけですが、そこから新しい価値づけのあり方を創造していけるものです。カントと全く逆のアプローチです。カントは(批判を通して)絶対的で普遍的な価値を見つけ出そうとしました。ニーチェは、そのような価値づけを批判しながら別様のあり方へのヒントを示すのです。

批判哲学が隠すもの

 カント以降、ヘーゲルからフォイエルバッハまで、批判という哲学の営為は、人間から奪われた(と彼らが設定する)ものを人間に取り戻すための技術=弁証法に帰結しました。しかし、神学を人間学にすること=人間を神の場所に置くことによって、人間とは誰なのか、命令しているのは誰なのか、理性の背後に誰がいるのかを批判哲学は隠してしまいます。もっといえば、実際に働いている(国家や教会の)権力行使を隠すことでもあります。つまり、批判哲学は批判的ではないということです。批判を妥協(弁証法)で終わらせるのではなく、批判から新しいもの(別様の価値判断)を生み出していくことが、ニーチェがやりたかったことだといえます。

さいごに

 ニーチェは多くの哲学者に研究された哲学者でもあります。例えば、ハイデガーは『ニーチェ』という本で、超人思想は形而上学の成れの果てだ、と結論します。それはそれで正解かもしれません。問題は現代に生きる私たちがニーチェをどう活かすかです。
 私は、「それ誰が言ってんの」とか「結局誰が得するの」という平易なアプローチで、ものごとやできごとの起源、意味づけに迫っていく方法は、哲学の分野に限らず現代においても有用性があると思います。それは形而上学というあり方とは別の、諸科学へ影響を与える哲学的思考法の一つだということです。
 ニーチェ以前の哲学は、服従する/服従させる哲学でした。ニーチェは、哲学者は哲学者であるかぎり服従することをやめる、ということを示したのです。

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