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虐殺器官について(哲学者紹介をする理由)

哲学者って、言葉の定義とか好きですよね。私は嫌いです
しかし、私自身の記事の中で説明もせずにキーワードっぽく使っているのを放置するのはよくないですね。定義にはならないでしょうが、説明させてください。そして、その意図に話が進むと、結果として私が哲学「者」紹介をしている理由につながります。

伊藤計劃『虐殺器官』

 もちろん、この本のタイトルであり、物語の中核になるそれ(Genocidal Organ)が由来です。この本は……2007年ですか。映画にもなっているんですね。知りませんでした。

当時の思い出

 私が学生だったころのこと――親しくしていた文学の先生が「虐殺器官って、世界観が近未来でおもしろいよね」って、ゼミで言ったら、ゼミ生が「いや、世界観だったらメタルギアソリッド(ゲーム)の方がよっぽど先だから。先生が知らないだけ」って言われたのよ。と嘆いていたのをよく覚えています。もちろん、学生に言われたということを嘆いているのではなく、「ベストSF」とかいって、当時の文学業界で持ち上げられているものが、ゲーム業界(のクリエイティビティ)から遅れているという現状を嘆いていたわけです。

虐殺器官について

 小説におけるそれの説明することは、さすがにもうネタバレにはならないと思います。一応、私の言葉で簡単に説明します。「それ」が何かは、作中ずっと謎なんですが、人びとをジェノサイドに導くディスクールのことだと判明します。ディスクールというのはちょっと言葉足らずなんです。広告やキャンペーン、キャッチコピーなどの広報的な側面と、日常で話される言葉の(文法ではない)使われ方とかも含むものです。ただ、少なくとも物理的なOrganではないってことです。ポイントは、直接的なヘイト表現とかではないってことですね。そうではなくて、(主に言葉の)使い方や(特殊な意味での)文法ってのが面白いところなわけです。

私の使用法(虐殺器官に至るまで)

 私としては、まず、イリイチの「コンヴィヴィアリティのための道具」(Tool of Conviviality:以下ToC)への注目がありました。イリイチ自身のニュアンスから派生させて、逆のもの――例えば、排除の論理や差別の構造などへの対抗手段(人が共に生きるのための道具や仕組み)としてToCを考えていました。しかし、よく考えると、それをひっくり返して、Tool of exclusion(排除のための道具)が仮にあったとしても、それは攻撃対象ではないということに気づきます。つまり、排除は、特定の道具(手段、手法)だけで行われるのではなく、構造的、構成的(そういう意味で生産的)な、機関(器官)、機構なんですよね。それはある意味で秩序でもあります。
 ありきたりな例えで恐縮ですが、「いじめ」は特定の手段(上靴に押しピンを入れるとかです)が問題ではありません。流動的な人間関係/力関係、特有のルール、あるいは共通の場としての学校、集団(クラス)の文化など、他にもいろんな要素がありますが、それらをバラバラにしても「いじめ」は把握できなくて、いじめは構造なんです。
 そして、そういうものに「対抗」する場合は、対抗手段や戦術なわけですからToCでいいんですよ。だからイリイチは間違ってないんですが、対抗する相手を示す言葉としては「Tool of...」という表現は適切じゃないんです。
 そう思っていると、虐殺器官といういい言葉があるじゃないかと気づくわけです。日本語の「器官」とはちょっとイメージが違いますが、英語の「Organ」はフィットします。あと、「Genocide」だと大量感、あるいは民族浄化感が出てしまいますが、そこはサイズが小さいのも含めて「虐殺」という、こっちは日本語の方がしっくりきます。まぁね、自分の言葉をつくってもいいのですが、ほんともう、哲学者が造語することには辟易しているので、知名度のある言葉をお借りしようって感じです。

哲学の特徴(私見)

 ここは私の意見です。あるいは私の哲学的信条です。これから哲学の定義じみたことを書きますが、私が正しいということを言いたいわけではないし、何かを学んでほしいわけでもありません。他人の日記を読む感じで見てください。

セーフティロックを内蔵すること

 哲学が、他の諸学(自然科学/人間科学)と違うのは、端的にはメタってることです。しかしはっきり言っておきますが、メタってること自体に意味はないです。なんのためにメタるのか。それは、哲学の理論、(理論体系がない場合は)考え方の作法を経ることで、ディスクール(言葉による表現)が虐殺器官になってしまう可能性を意図的に潰すためです。そういうことを企てるのは、諸科学の(いい意味での)言語ゲームの中では無理なんです。そのゲームを成立させている、ルールや外部条件なども見ないといけない。だからメタるのです。
 とはいえ、哲学もディスクールであることからは逃れられません。したがって、もし(哲学の)ディスクールが虐殺器官になったり、あるいはその一部として利用されそうになった場合、自爆(内破)するような仕掛けを仕込んでおくことになります。このことを、セーフティロックを内蔵している/いない、という言葉で表現しています。

諸科学と哲学の役割分担

 科学はなんのためにありますか。基本的には役に立つためです。まぁそりゃ、生活の役に立つのか、戦争の役に立つのか、それはケースバイケースですけれど。その良し悪しが問題ではないんです。むしろ、良し悪し、どっちにでも使える「道具」だということです。このようにいうことで、科学は哲学より下、ということがいいたいのではないですよ。道具であること、また言語ゲームであること……それを洗練させていく学問の仕組みは、大事な共有財です。
 しかし、道具であること、役に立つこと、洗練させること、そういう科学の営みにおいて、いちいちセーフティロックを内蔵することはできません。このことも、悪いことではありません。それは、科学がやることではないと思います。
 つまりは、役割分担ですね。哲学がセーフティロックを内蔵させることを引き受けましょ、ってことです。そういう意味で哲学の現代的意義は、倫理とほぼイコールだと、言えるのかもしれません。もちろん、例えば生命倫理という感じで、諸科学の中に内蔵する取り組みはありますが、あれは、分離した上で引っ付けてるので、基本的には役割分担と同じです。

哲学「者」紹介をする理由

 これは込み入った話じゃないです。哲学を現代的水準で吟味するために選択した手段です。具体的には、哲学者本人の来歴や、時代背景を知ることですね。それらは、その哲学者が「なんのために」自身の哲学を本にしたのか。誰と論争し、どういう経緯があって、ときに方針転換したのか。そういうことを知ると、その哲学者の考え方――どういう人間・社会・国を理想像にしているか、どういうふうに現状を変えたかったのかが、ある程度分かるでしょ。もちろん、「完全に」は、無理です。それに他の方法もきっとあります。試みているんだ、と思ってください。
 分かりやすいところでいうと、最近の記事ではレヴィナスと並べましたが、カントの哲学を虐殺器官だと断定するのが極端だとしても、明らかに排除の構造で組み立てられてるでしょ。それをね、部分を切り出して何かに活かすのは効果的ではないです。もちろん、誰か/何かを排除したい場合には別ですよ。

「哲学解説」の弱点?

 むしろ、私の紹介(哲学「者」紹介)の仕方の弱点の方から言っておくと、記事全体が長くて読む気を無くすことです。あと、取り上げた人の哲学の内容に言及する場合には、どこかにフォーカスするので、偏りが出やすいですね。
 一方で、世にある「哲学解説」――理解のレベルや分かりやすさは問いません――に、さっき書いたようなその哲学(者)の目的の説明が含まれていない場合(しばしばあります)、その解説を読んだ人の哲学理解は、私のいう意味での哲学じゃないです。数学や社会学の理論の理解と同じ……つまり、哲学を諸科学のように理解していることになります。
 断言しますが、それは、ありです。諸科学のように扱うことで、なにかに(仕事に生活に将来やりたいことに)役に立たせることができやすくなるのですから。ただ、せっかく哲学に触れているのにメタれていないというのは、もったいないことだと思いますし、もしかしたら弱点になるかもしれません。つまり、その知識が虐殺器官(そのもの、あるいは部分)であることに気づくことが、(能力的にではなく)原理的に難しいからです。
 話の流れ上、こういうコメントになってしまいましたが、哲学と哲学解説を分類したいわけではないのです。分けたって意味ないですしね。あくまで、私の記事の特徴を説明しただけです。改めて、書いておきますが、notoの「#哲学」に関わるすべての人から、私はいつもつねに鼓舞され、触発されています。

さいごに

 虐殺器官になる可能性から完全に逃れることは無理です。だからセーフティロックで妥協する。しかし、この妥協は覚悟です。そいつが機能しなかったときに、その言説が虐殺器官に堕することを引き受ける覚悟です。責任ではないですよ。責任というのは、原理的に果たすことができる事柄に対してだけ使う言葉ですから。
 哲学者紹介の記事も現代に近づいてきて、上記の覚悟を伴った哲学者にふれる機会が増えました。お伝えしたかったことの一つは、現代に近い哲学は単に現代に近いから意義があるわけではないことです。それぞれの哲学者が、それぞれのやり方でその意義をつくっているのです。しばしば行動を伴って。その有効性を(僭越ながら)評価したい、と思っています。

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