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知を預ける

最近買ったもの、それは。jetaceだ。

(ニッチすぎるのか商品レビューがあまり見つからなかった、類似品の紹介ページを貼っておく)

これを買ったせいで、noteが書けなくなってしまった。いや、書く必要がなくなってしまった。

もともと手帳を書く習慣が無に等しく、どんなペンやノートを買っても続かない状態が続いていた。しかしiPhoneのメモアプリで書くことの楽しさを気付かされ、気づけばnoteを始めていた。noteは楽しい。みな優しい。他のSNSにある毒っ気が一切ない。そんな状態が心地よく、続いていた。

しかし最近、手書きにハマる。少し前は大学ノートにひたすら意味もないことを思いつくまま書き散らしていた。いつでもどこでもメモしたくなり、jetaceという自分のために作られたんじゃないかという商品を見つけ買ってしまった。

jetaceはいつでもどこでも書ける。外で書くときは、スマホを下敷きにして書いている。とても小さい手帳なのでスマホに収まるのだ。本当にどこでも書ける。ただメモの範囲は限られているので、小さい字で書かないといけない。小さい字で短文をコツコツ空き時間に書き溜めている。見返しても本当にくだらないことばかり書いている。何が楽しかったとか、今度あれをやってみたいとか。どうでもいいことだ。ただ長文を書くことはできない。jetaceを取り出すのはスキマ時間だ。家で書くには小さいので取り出すことはほぼない。jetaceに書くことに満足していて、noteの長文を書くことをしていなかった。

短文を書くこと、それは即興的な発想の貯蔵だ。積み重なったり、散らばっているものを眺めたりすると新たな価値を見つけることができる。

長文を書くこと、それは日々の慌ただしさを洗い流すもの、蒸留である。歩いているだけで、聴覚、嗅覚、視覚を刺激される。それらを淘汰し、選別したものが長文だ。

つまり僕らは発想が浮かんでは消えて、五感を極限まで刺激された生活を送っている。メモしなきゃでしょ。短文と長文どちらも大切。コツコツ書けるようにnoteの時間を作ろうと思った。

まあ何にせよ、書くことは楽しい。
ほなまた。

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