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違う人と共存すること


「この人は自分と価値観が合わない」
そうやって離れること、壁を作ることは簡単だ。
距離を置いてしまえば、自分と異なる意見の人とぶつかることはない。

けど今は、「違うな」「合わないな」と思う人とも共存したい自分がいる。


完全には理解できない。
分かり合えない。
もしかしたら一緒にはいられないかもしれない。

それでも共存したい。

共存とは何かって分からないけど、
少なくとも分断したり排除したり、関わりをなくすことではない気がする。


理解できなくても、
分かり合えなくても。
相手は相手のままで、自分は自分のままで、そこに居ること。

どちらかが妥協することも譲歩することもなく、
もちろんどちらかを否定する事もなく。

ただ互いがそのままで関われること。

それが私が言いたい「共存」なのかなと。


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それは思ったより難しい。
だって大事にしたい価値観が違うから。

何なら相手が持ってるものは、自分が遠ざけたい価値観だったりするから。
拒絶反応を示してしまう。

その中でも、相手の背景には何があるのか。
どんな環境や価値観の中でこの人が生きてきたのか。
そういうものも知りながら、少しだけでも何が起きてるのか理解したい。


自分の大事にしてるものも、分かってほしい。


違うものは違うままで、互いに「そうなんだね」って。
それは尊重というのだろうか。
いやそれよりもっと、「あなたはそれを大事にしてるんだね」って。
ただ見る

そこに肯定も否定もない。

それが出来たら良いのかな。



難しいけどね。
今も葛藤し続けてるし、ぶつかってる。

でもきっとこうやって、ぶつかり合いながら進むしかないのかもしれない。


意見を伝え合って、ぶつかって、時に傷ついて。
そうやってもがいて、苦しみながら、互いを見ていく。


そんな過程を経ることで、ようやく共存できるのかもしれない。

(いや、もっと平和的に共存できる方法があるなら知りたいけど)


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でもこうやってぶつかれる人がいるのが、
そもそも有難いことなのかな。


「合わない」と思いながら、それでも
関わりを続けたいと思えるほど、好きな人がいる。
衝突する面倒くささや煩わしさがあっても、それを超えるほど好きで、大切な存在であること。

関係を切るのは簡単だけど、そうではない道を模索したいと思う。

そう思える人と出会えたことが、そもそもとても奇跡のようなことなのかもしれない。

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