スカスカしたものをつくりたい. 物質的にスカスカしたものという意味でもあるが, もっと広くスカスカを捉えている.
スカスカとは空(うつろ)でもある. 英訳するならvoidとemptyの間くらいか. 満たされていないうつろの状態であるからこそ, 何も無いのではなく, そこに何かが入り込む余白があるともいえる. それは, 来るべき何かを待っている, という期待や予感を孕んだ状態である. そうした起こりうる変化が潜在したような空間をつくりたい.
琉球諸島などの南方には御嶽(うたき)と呼ばれる聖域があって, 人間が自然の中に見出した森や川などの清き場所だ. 御嶽とは異なるが, 古神道的なものでも, 伊勢の滝原など, 領域そのものを聖域としてみなすということをしていた. 司馬遼太郎はそうしたものを”真水”といった. それは, そこを清らかにしておけばそこに何か良きものが訪れる, そうした感性である. 空(うつろ)なところに何かが降りてくる, と感じる心性は日本に特有のものなのだろうか.
以前, イングランドのストーンヘンジを見たときに, 強烈なvoidを感じたが, それを"空"だとは思わなかった. むしろ, voidを構築しようとする強固な意志のようなものを感じた.
ストーンヘンジはみずからつくり出した能動的なvoidで, 真水は受動的というか天与のvoidなのかもしれない.
空(うつろ)と日本をめぐる論考は様々あるが, 印象に残っているのは 河合隼雄 "中空構造日本の深層"である. たしか, 日本神話の中に, 表立っては目立たないけれど重要な, いわば空な存在がいて, その存在こそが神話読解のポイント…ということから展開される日本文化の深層を読み解くような内容だったと思う.
良く言われることだが, 枯山水もその場に水が無いことで, かえって水を強烈に想起させるわけで, 空(うつろ)は日本でデザインを考える上での鍵概念である.
建築でも古くから"がらんどう"という言い方で, 空(うつろ)を宿した空間を思考してきたが, 私はそれとはまた少し違うアプローチで, "空"について考えている. 建築物の組成自体をスカスカにするイメージと言えば良いだろうか.
かたちがあるようでない, あるいは事後的に何かが満たされることで, ある一時だけ実体化したようにみえるハーフヴォイドのようなものである.
設計するときにはいつも, その建築がある豊かさを獲得してほしいと願うわけだが, つまるところ, 豊かさとは変化を感じることだと思う.
建築をスカスカにすることで, たえずそこに光や風や音が出入りして変様し続けるような空間の状態をつくりだしたい.
そんな新しい建築の境界面は決してハードではなく少し滲んでいて, 空(そら)と溶け合っているように感じられる.
私が設計した空蝉の家が, 新建築住宅特集の2月号に掲載されている. そこで, スカスカについて少しだけ書いたが, 字数に限りがあったため, こちらで補足した.
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