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本棚の一角

本棚の一角, 娘のコーナーが日に日に力強くなっている気がするが, 気のせいだろうか..OKAMOTO'Sが好きなのか?
もしかしたら, もうすでに自分の中に毒を持っているのだろうか..

岡本太郎は一般には何かと誤解されがちな人のような気もするけど, 個人的には著作が好きで何冊か読んできた. 子どもがそのまま大人になったような人という印象で, ものすごく透徹した眼をもっている. ある種の大人的なふるまいというか, 妥協や欺瞞が大嫌いでそうしたものへの軽侮と抗う意志の強さが凄まじい. 調和ではなく衝突といったところだろうか. そうした反骨心を毒といっても良いのだろう.

1970年の大阪万博でも”人類の進歩と調和”というスローガンが気に入らず,
お祭り広場と呼ばれた大空間の大屋根をあえて突き破るように太陽の塔を立てた. 50年後の現在, 万博関連の建物はほとんど残っていないが(そもそも多くが仮設的なパビリオンであったが), 太陽の塔は存置されることになった. 
太陽の塔自体, 岡本太郎の一応の解説はあるにせよ, 合理不合理という常識的な価値判断を超えた異様で巨大なオブジェであるが故に, 残ったのだろう.
これは使えるとか使えないとかいう議論の俎上にのらないどころか, そもそもそういう俗世とは交わらない次元の異なる物体なのだ.
時を超えるのは, そうした”意味より強度”をもったものなのだろう. 弥生(意味)ではなく縄文(強度)である.
思えば, パリ時代にマルセル・モースから文化人類学を学んだのだから, 縄文の火焔型土器をみて「何だこれは!」と反応することもごく自然なことだったのかもしれない.
もしかしたら, チブサン古墳の壁画や火焔型土器などを考古学の領域から美学の領域に最初に引っ張り出したのは岡本太郎なのかな? そのあたりのことは詳しくないけれど,,

著作全般, 独自の考察が煌めいているが, それを享受されるというより, 「俺はこう思う. で, おまえはどう思うんだ?」といつも何かを突きつけられているような感覚になる.
自分の中に毒はあるか.. 本棚の一角を見ていたら自分に跳ね返ってきた.

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