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第55回 中部建築賞 / 価値と評価 4

このたび, 第55回 中部建築賞を受賞いたしました.
関係の方々に深くお礼を申し上げます. ありがとうございました.
中部地域9県に所在する建築作品を対象としたもので昨年末に審査が行われました.

現地審査会で審査委員長の大野秀敏先生から直接コメントいただけたことがつよく心に残りました. 拙作とコルビュジェの空間の質との関連性をご指摘していただき, 評価していただいたことはとても光栄で今後の大きな励みになりました.
(大野先生の”ファイバーシティ2050”とそこから派生した縮小する都市のための未来戦略には, 私自身大きな影響を受けたので. )


価値と評価のつづき..

建築だけでなく文学, 美術などで賞とよばれているものは, 基本的には権威が評価を定めるという図式になっている. 特定の分野に関して深い知見をもった専門家によって評価を定めるということである. こうした評価の定め方に異論がある人もいるだろうが, 私は古典的ながら安定したシステムだと思う. 要は, 時間と手間がかかる評価の定め方である. (賞といっても, 商業色の強いもの, エンタメ的なもの, 政治的なものなど様々あるので, 一概にはいえないけれど..)

一方で, 権威が時間をかけて評価を決めるのではなくて, 市場が直接に評価を決めるようなジャンルもある. 音楽とかファッションなどはそういう傾向が強い. 多くの人に聴かれている, たくさん売れているなど, ダイレクトなセールスの指標がある. その場合だと, アウトプットされてからの評価はタイムラグがほぼない同時的なものになるので, いきおい消費されていってしまう感じも否めない. タイムラグの無さは, 消費する側にとっては嬉しいことだが, クリエイターにとってはどうなのだろうとは思う.

藤原ヒロシさんとWTAPSの西山徹さんが何かの対談で, スケートやヒップホップのようなユースカルチャーがこれから出てくるか?というような話題で,
"現代はアウトプットするまでの期間が短すぎて, 熟成される時間がないから, ユースカルチャーが育ちにくいのではないかな"
というようなことを話していたのが印象的だった. 熟成というニュアンスはすごくわかる. 多数の人に広まってしまう前に, その価値をよく分かっている仲間内だけでわちゃわちゃやっている状態のことである. これいいよね, かっこいいよねとか言い合ってディグりあっているうちにだんだん熟成が進んでいく. そういう濃い味のものが, 周りの評価とともに少しづつ薄味になって食べやすく広がっていくというのが, カルチャーの展開には必要なことなのだろうと思う.

価値と評価について, 整理せぬまま書いてきた. 当たり前のことではあるが, 価値があるからといって直ちに評価されるとは限らないし, そこに齟齬があるからかえって面白いことがおきるのだ.

最後に, 美術家の村上隆氏が評価について語っている興味深い言葉を引用してこのテーマについてはいったんおしまい.

「挑戦する軍資金が入らないと困るので、今現在の評価は必要ではありますが、自分が生きている間の評価、値段ともに高くても仕方がない。僕らの仕事は、アーティスト自身の死後が一番大事で、生きている間は大して意味がないんです。生前はこうやってインタビューを受けたりして、人が興味を持つきっかけをつくれますけど、死ぬと能動的な姿勢が取れない。にもかかわらず作品が残るなら、それは作品の純粋な強さと関連性があるわけです。作家の生前は雑音に惑わされる。芸術の世界における本質的な評価は、作家が死ぬまで絶対に真価を問うことができない」

「作品の全てに時限装置を組み込んでいます。自分がつくったシナリオが死後に起動するかどうかは、時限装置の設計図の実力次第。つくりきった後は、野となれ山となれ、です」

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