価値と評価 3

有名な話だが, アメリカの人よりもずいぶん先にヴィンテージデニムの魅力を発見して価値をつけて昨今のムーブメントにまで盛り上げたのは日本人らしい.

元々はアメリカの肉体労働者が着用していたワークウエアを1970,80年代に日本の古着好きたちがアメリカに行っては見つけてきて, あれはいい, これはダメと, ともかくまだ価値がそれほどはっきり定まっていないものを皆で愛でたところが始まりだ. 年代によってこのディテールが違うとか, この縦落ちする色の落ち方が美しいとかリペア痕がいい, とか言いあっている様子は, 侘び茶で金継ぎ(割れた陶器を再びくっつける技法)を景色に例えて愛でるのと同じような感性からきているように思えてならない. 評価の革新者だ. そうして, 日本国内で徐々にデニムを中心とした古着が人気になり, 90年代に一度大きなブームになった. その後も多少の浮き沈みはあれど, 日本国内でデニムを中心として古着文化が続いてきたおかげで, 世界中にあった目ぼしい古着の大半は, すでに日本国内にあるのではないかとも言われている.
そうしてゼロ年代になると, デニムの母国アメリカでも古着が人気になってきたというか, ある意味日本経由で魅力が再発見された.   ちなみに, デニムに特有の色落ちを“ハチノス”とか”ヒゲ”というが, 外国でも日本発のその呼称が使われているというからも日本発の文化だということがわかる.

先述した骨董品とみまがう古着もそうだし, 何百万円もする古いデニムもそうだが, そもそもは当時なりの機能性とコストをバランスさせて作った単なる戦闘服や労働服である. それが時代も場所も遠く離れたところで, 元の価値とは桁の違う金額で取引されているのだから, 古着に興味のない人から見ればほとんどイリュージョンである. ものの価値と評価ということについてよく分からなくなってくるが, ともかく, 服そのものに力があれば, 何十年も生き延びていくことができるということだ. 

海外に古着を買い付けに行く古着バイヤーという職業の方がいるが, そういう幻想と現実のはざまで宝探しをしているような感覚なのかもしれない. 古着マーケットもそうした方々の活躍があって成熟してきたため古着の価値の序列がある程度固定化してきているので, まだ見ぬフロンティア的なアイテムはもうそれほど無さそうにも思える. が, その時々の流行によってサイズ感だったり, ユーロのミリタリー古着の魅力が発見されたり, なんだかんだで新たなジャンルも登場しているので見ていて楽しい. (ついこの間など, 韓国の学生が高校の授業で使っていたらしい白黒のアメーバみたいな迷彩服が高値になっていて驚いた.)
とはいえ, 古着そのものは石油と同じでそもそも有限なものなので, 絶対数が決まっている. みなが良いと思っているものは値が上がりこそすれ, 値下がりするということはもう無いのかも. 

若い世代のファッションデザイナーがあるインタビューで, “日本人が長年かけて解釈してきたアメカジ”をデザインとして再び輸出したいというようなことを話していて, かなりハイコンテクストなことをやっていて面白いなと思ったし, 一時流行ったハイブランドのストリートファッション化は90年代の原宿のストリートファッションが源流なのかしらと思う.(ヴァージル・アブローとかキム・ジョーンズとかそんな雰囲気がものすごく漂っている.) それはハイカルチャーもサブカルも混ぜこぜにして新しいものに編集し直すミクスチャ感によって, 従来の価値をズラしていく感じだ.

ポストモダンの時代にあっては, 創るのと同じかそれ以上に, 既存の価値を編集し直して新しい枠組みとして見せたり, 評価を革新することの方がクリエイティブなのかもしれないと古着をみていてつくづく思う. 

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?