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中絶の配偶者同意

2023年3月現在、日本では人工妊娠中絶に配偶者の同意が必要とされている。

昭和二十三年法律第百五十六号
母体保護法

第三章 母性保護
(医師の認定による人工妊娠中絶)
第十四条 都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる
一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫かんいんされて妊娠したもの
2 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。
(e-Gov法令検索)
(太字は筆者による)

そのような国は世界の中でも珍しいらしく、女性の自己決定権、リプロダクティブ・ライツの観点から、日本でも配偶者の同意を不要とすべきとする論調がある。

リプロダクティブ・ライツは,国内法,人権に関する国際文書,ならびに国連で合意したその他関連文書ですでに認められた人権の一部をなす。これらの権利は,すべてのカップルと個人が自分たちの子どもの数,出産間隔,ならびに出産する時を責任をもって自由に決定でき,そのための情報と手段を得ることができるという基本的権利,ならびに最高水準の性に関する健康およびリプロダクティブ・ヘルスを得る権利を認めることにより成立している。その権利には,人権に関する文書にうたわれているように,差別,強制,暴力を受けることなく,生殖に関する決定を行える権利も含まれる。
(内閣府男女共同参画局のページから抜粋)
(太字は筆者による)

そういった論調について、自分は多少モヤモヤしつつも「まあ、そうなるのもしょうがないか……」と考えている。

◆「モヤモヤ」の部分

男性のリプロダクティブ・ライツ

率直に、「え、男性のリプロダクティブ・ライツは?」と思った。すべてのカップルと個人に認められるのではなかったのか?と。

……いや、分かる。
胎児の親としての当事者が女性と男性の2人であり、中絶にはタイムリミットもあることから、この二院制で意見が分かれたら衆議院と参議院のようにどちらかを優越させても仕方ないというのは分かる。
優越するのは出産に伴い直接的にリスクや負担を負う女性側だというのも分かる。
産みたくない女性に産ませるなんてとんでもないことだというのも当然分かる。

しかし、ここで女性を優越させるというのは、男女双方のリプロダクティブ・ライツが対立した場合は必ず女性側が勝つということである。
……そしてこれは、男性のリプロダクティブ・ライツを女性が掌握するのと同じである。
今のところ男性も女性も異性なしで子を設けるのは不可能なのに、最終的に女性だけが子の出生を決定でき、男性は何も決められないことになる。

今は女性のリプロダクティブ・ライツを男性が一方的に握っているんだ、と思うかもしれないが、これは必ずしも正しくない。

女性は避妊の失敗などで妊娠した場合、産ませたくない男性をよそに産むことができる(夫婦などの場合は夫に扶養義務まで生じる)。
現行制度では、「産む、産ませる」方向では男女が互いにリプロダクティブ・ライツを掌握していると言える。

ところが、中絶に配偶者の同意が不要となると、「産みたい女性、産ませたい男性」に有利な制度から「産みたい女性、産みたくない女性」に有利な制度になる
男女のリプロダクティブ・ライツの均衡は完全に崩れ去ってしまう。


2人の子ども、1人の人間

妊婦のお腹にいるのは女性だけの子どもではない。男性の子どもでもある。
にもかかわらず、中絶に配偶者の同意が不要な場合、女性だけが胎児の生殺与奪の権を握ることになってしまう。
いくら胎児が法的に「人」ではないからといって、出生を望む夫を尻目に妻が独断で胎児を◯してしまえるのはどうなんだろう。

生まれてくるのは「2人の」子どもだし、もっと言えば1人の人間である。
そんな胎児の生死を女性が決めるのは果たして本当に「『自己』決定権」なのだろうか。

男性のことも胎児のことも何ら顧みることなく「女性の自己決定権」という論点に終始するのは違うだろ、と思う。


◆「しょうがないか」の部分

女性の自己決定権

なんだかんだ言っても、「女性の体のことなんだからその女性だけで決めていい」は一理ある(一理しかないが)。
「女性の体」という観点だけなら話は簡単だ。その観点だけならば。


堕ろす同意と産む同意

中絶に配偶者の同意が必要か不要かで、それぞれの主な問題は次のとおりと考えられる。

・配偶者同意必要
→妻は産みたくないのに夫に産ませられる
・配偶者同意不要
→夫は産んでほしいのに妻が堕ろす

……後者も重大な問題だが、直接的にリスクや負担を押し付けている分前者の方がヤバい気がする。
配偶者の意見も尊重すべきとはいえ、妻が産みたくないと言っても産ませようとしてくるような夫の意見を「尊重」してしまって大丈夫だろうか。それこそ母体が危ない。

そもそも、子どもの存在は夫婦の生活に極めて大きな影響を及ぼすので、やはり夫婦が双方合意している場合に産むのが望ましいかと思う。
制度としても「堕ろすのに双方の合意が必要」よりは「産むのに双方の合意が必要」寄りの方がいいのではないか(特定の家族形態に対する否定ではない)。

「堕ろす同意を不要とする」というのは、「産む同意を必要とする」に近いかもしれない。まあ夫の同意がなくても妻は勝手に産んでしまえるわけだが。
そこは結局、上でも書いたように衆議院(女性)と参議院(男性)ということで不均衡も仕方ないと自分は考える。


母体保護法の建て付け

やや蛇足。
母体保護法で中絶を認めているのは「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」などに該当する者に対してである。

自分はてっきり、モヤモヤの部分で挙げたような男性のリプロダクティブ・ライツ的な考えや夫の子どもでもあることなどを考慮しているのかと思っていた。

「母体の健康を著しく害する」のを回避するのに配偶者の同意が必要、というのはおかしいだろう。配偶者の同意を必要とするにしても、現行の母体保護法は建て付けに疑問符が付く。
(まあ幅広に解釈されているだろうからそこまで厳密に考えなくてもいいかもしれないが)


◆最後に

以上のように、人工妊娠中絶に配偶者の同意を不要とする論調について、自分は多少モヤモヤしつつも「まあ、そうなるのもしょうがないか……」というスタンスだ。

別に反対するわけではないのだが、少しでもこの「モヤモヤ」が伝われば幸いである。

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