「青年経済人」についての考察

「青年経済人」についての考察
……われわれは青年経済人の団体か否か……

(1996年に記したレポートです)

1)問題提起

 我々JCは、自らを「青年経済人」と称し、その名のもとに活動を続けてきた。対外的には、「青年経済人」と言うより「若手経営者」の団体として認識されてきたと言える。JCにおいては、「青年経済人として~」と自らの立場を前置した運動方針、事業目的が立てられることが多い。誰もが、当たり前のようにJCを「青年経済人の団体」として自認してきたのである。
 しかし、我々の入会に際して「青年経済人であること」とか、「経営者またはそれに準じた立場の者に限る」という規定があるわけではない。最近は特に「経営者ではない立場」の会員も存在している。
 「青年経済人」という言葉は「若手経営者,経営者たらんとする青年」と同義なのだろうか。同義でないとすれば、どう違うのだろうか。誰もが自認していることだから問題がない、JCが青年経済人であるというのは自明のこと、とする考え方もあろう。しかし、一方で、我々がしばしば自称してきた「青年経済人」という自己規定に対して、いま変革を迫られているのではないか、という漠然とした声があるようにも思える。
 そこで、『青年経済人についての考察』と題して、この問題について考察を行うこととした。ここで論じようとするのは、上記のような私自身の内なる問いに対しての考察である。簡潔に言えば、サブタイトルの通り「われわれは青年経済人の団体か否か?」という点に絞って調査と考察を進める中から、JCの本質に、たとえ一歩でも迫ることができれば、という願いを込めた試みである。


2)テーマ選定の動機

 このテーマを選択した動機は、まず第一に「戦後の荒廃からの経済復興」という初期の目的のひとつが既に達成されているのではないか、という疑問があるからである。経済の状況は、昭和25年の創立時、復興期、高度成長期、そして成熟期あるいは経済成長の限界説が囁かれる現代に至るまで、大きく変化している。「戦後の荒廃からの国家の経済的再建」という初期の目的は、既に先人の手によって達成されたというべきだろう。かといって、経済がいつの時代においても社会の重要な基盤であることに反対するものではない。こんな状況においてこそ、我々は、青年経済人という自己規定が不変のものかどうかを自らに問い続ける必要があるのではないかと考えるのである。
 第二に、会員の大多数が経営者,経営者たるべき立場にあるといえども、明かにそうではない立場の会員がいる、という事実がある。いわゆるサラリーマンをはじめとして、僧侶や公務員もいる。これらの人々が「青年経済人」であるか否かについて検討する必要がある。JCは、目的をもった組織であり、一定の入会基準を設けて構成員を選んできたはずである。経営者とは異なる立場の人々の存在を、組織は少数の例外として認めているのか、それとも本来は入会すべきでなかったと考えるのか、あるいは入会に関する明文化された基準以外のものはなく、彼らが組織の中枢を担っていくことにも何の問題もないのか、ということについて、JCは明確な答を持つ義務を負っているものと思うからである。
 第三に、いわゆる「坊ちゃんクラブ」,「二世のサロン」という一部の対外的評価に対する我々の見解を明らかにしたいという点である。「坊ちゃん」あるいは、「二世経営者」と「青年経済人」は、まったく異なる概念である。また、社会の評価に対して言葉で反論しても、大した意味はないだろう。しかし、JC運動が社会に認知され、大きな広がりを持つためには、対外の評価と自己規定が一致している方が望ましいことは言うまでもないであろう。
 そして最後に、JC運動の大きな流れにおいて「地球市民」という概念が出現してきたこととの関係を明確にしておきたいという動機である。「地球市民」はJCメンバー自らのみをさす言葉ではないが、時代と共に大きな潮流となりつつある概念と、それ以前の、青年経済人という自己規定の関係は整理しておかねばならない。
 主として、以上のような理由から「われわれは青年経済人の団体か否か?」というテーマを設定した次第である。もちろん、「青年経済人」という言葉の意味、そしてそもそもこれがJCの公の自己規定なのか否かということも併せて検討することが必要だろう。組織の自己規定は、運動体としての根幹の問題であり、構成員である会員の拡充方針の基本であり、JCの社会的認知、存在意義と密接につながっているのだから、この問題の重要性は当然のことといえるであろう。


3)考察の手法

 このテーマを考察するにあたり、主観的感覚的な意見を述べるだけでは不充分であろう。そこで、まずJCの45年の歴史を記す資料から、歴代の会員、特に組織の中枢を担ってきた人々の主張、意見を調査し、拾い出すこととした。そして単に羅列するだけでなく、時系列あるいは主張の趣旨によって整理し、個々の記述が、当時の背景において、あるいはその他の意見を持つ人々の主張をも含む文脈の中で、何を言わんとしていたかを読解したい。さらに、それらを対比していくことによって、時代を超えた討論を組み立てることを通して、JCの根源的な理念の普遍性に近づきたいと思う。
 「JCは青年経済人の団体である」というテーゼに対して「JCは青年経済人の団体ではない」というアンチテーゼがあるという二律背反の存在を前提として、これらの調査、考察を進めてきた。そして、この考察の最後に個人的な解釈を提示することによって、「21世紀のJCのあり方」という重大なテーマに対して一石を投じたいと考える次第である。


4)調査内容

 大阪JCの設立当初の組織構成が、若手経営者あるいは経営者たらんとするメンバーで占められていた事は記録の点から明かである。そして、現在においても、ごく少数の例外はあったとしても、いわゆる経済人,経営者を主体とした組織であることに変わりはない。その意味で、JCは「青年経済人」の団体である、ということは事実であるといえる。
 しかし、組織を創るにあたっての自己規定が「青年経済人」を示していたかと言うと、必ずしもそうではない。
 1950年、大阪JCが工業会の新人会をその母体として設立された初年度の会報に、「大阪JCの発足」という記録が残されており、その1節に以下のような表現がなされている。

 工業会新人会とは、工業会の若いメンバーをもって組織され、先輩の教えを乞うと共に互いに切磋琢磨して勉強しようという会であり、……中略……その性格はJCと酷似しているのであるが、会員の大半が経営者乃至将来経営者たるべき立場の人々であること、積極的事業の計画を持たぬこと、国際的つながりを欠くこと等の点においてJCとは異なり……
                  (1950初年度会報,大阪JCの発足)

 JCの設立は「工業会新人会の拡大発展」か「別組織としての創設」かに議論が分かれていたという記録があるが、結果的に新たな組織としての大阪JCが設立された理由の一つに「会員の大半が経営者乃至将来経営者たるべき立場の人々」という工業会新人会の自己規定を外す必要性が認識されていたことになる。
 また、大阪JCの初代理事長・徳永博太郎先輩は、初年度の挨拶の中で以下のように述べている。

……この使命達成の為には、広く社会全般の人々の理解と支持を必要とし、亦あらゆる層の有志有能な青年諸氏の積極的参加を不可欠の事と致します。その意味に於いて、青年会議所の意義に対する確信を何人にも臆すことなく此処に宣明致すと共に、熱意ある同士の人々のご入会を心より願ってやみません。
    (1950.8.1,大阪JC初代理事長徳永博太郎,初年度会報挨拶文)

 これは、たとえ設立当時のメンバーが経営者という立場の人々のみから構成されていたという事実があっても、使命達成の為に「あらゆる層」の青年の参加を呼びかけていることを示すものである。この2つの引用からすれば、JCは「青年経済人」と自己規定するのではなく、広い層の青年の運動たらんとしていたと言える。
 そして、大阪JCの設立趣意書第2項にはこのように「経済」について触れられている。

『経済』は人類社会の基盤である。日本の再建亦経済自立の達成を俟たずして考ふべくもない。日本産業経済の中心地大阪の経済再建に負ふ責務は甚だ重且大と言はねばならない。吾人青年にして経済建設にたづさはる者、廣く社会各層にわたって同士相呼び相集り力を併せ、以て大阪青年会議所を眞にその名にふさはしからしめんとする。
              (大阪青年会議所設立趣意書第2項,1950)

 ここには「吾人青年にして経済建設にたづさはる者」と自らを確認した上で、「広く各層にわたって同士相呼び相集まり力を併せ」る決意が示されている。「経済建設」に携わる層の青年以外を同士に加えようという文面である。そして、「以て大阪青年会議所を眞にその名にふさはしからしめんとする」として、現在の会員構成をより広げることを明確に宣言しているのである。
 ところが、大阪JCより1年後に発足した日本JCの設立趣意書はこう記されている。

日本経済の建設に携わるわれわれ青年が……略……経済社会の現状を研究して、その将来進むべき方向を明確にし、経済界の強力な推進力となり、日本経済の発展に寄与せんとして設立した青年会議所は……略……
                  (1951日本青年会議所設立趣意書)

 この意味するところは、青年経済人という言葉こそ登場しないものの、まさにJCは青年経済人として経済発展に寄与する団体である、と規定しているように受け取れる。大阪JCの設立趣意書が、経済復興を重要な課題としながらも「広く各層にわたって同士相呼び相集まり力を併せ」る、としたのに対し、日本JCには、その記述が見られない。
 ここに、同じJCという組織でも、大阪JCと、各地JCの連携を高め調整する機関として発足させた日本JCが、その当時からそれぞれの自己規定に微妙なズレを持っていたのではないかという疑問が出てくる。
 大阪JCの創設時のメンバーで、第3,4代の理事長を務め、その後日本JCの会頭に就任した森下 泰 先輩は、以下のような発言を繰り返している。

青年会議所はある特定の階層の上に立つものでは決してない。大阪JC或いは東京JCの、現在の推進者が経営者の立場にある者、従って当然に所謂財界二世の人々であるとしても、それは単に事実の問題乃至プロセスの事柄に過ぎぬ。                (1950会報,「主張」森下 泰)

青年会議所は、政治結社でもなければ宗教法人でもなく、又、狭い意味における経済団体でもありません。『世界を通ずる友情』『社会への奉仕』『会員相互の啓発』の三をその信条とする青年の集いであります。そして、そのあり方が、抽象的であるだけそれだけ広い幅を持った、大きな力強い流れであると申せましょう。       
            (1952.7,大阪JC第3年度理事長,会報より)

第一に指摘したいことは『若く知識ある青年の社会的責任の自覚こそJC運動の起点である』ということであります。現在のわれわれメンバーが、いわゆる知識ある階層に属し、かつ自ら世の指導的青年と自負していることは明かな事実であります。…略…第四に、会員の質の問題として『広く社会各層の有識青年を結集すべきだ』と私は考えてまいりました。『JCは坊ちゃんクラブである』という批評を耳にしてまいりました。坊ちゃんだから会員になれるのではなく、有識有能であるから会員であるということでなければならないはずです。               (森下泰会頭1954.7-1956)

JCはいわゆる社交団体ではないし、修養機関でも経済団体でもない。JCは社会団体であり、実行機関である。     
                (森下泰会頭「JC本質論」1954-56)

 これらの一連の森下先輩の発言は、日本全体からすると、やや特殊な立場であったようだ。「青年経済人」の団体として自己規定しようとする各地のJCと、森下会頭及びその出身LOMたる大阪JCは、その主張を異にしていたのである。この経緯については、日本JCの40周年記念誌「明日への黎明」に記されている。以下、この件に関する歴代会頭の考えを、その所信の中から追ってみたい。

いたずらにJCの概念規定に、あるいは性格判断に時をあせり、真の価値判断にあやまりがあってはならぬと思います。現在の会員の社会的地位のかたよりや活動の色彩をもってしては、将来を含む現在のJCの価値づけは困難でありましょう。特に創生期である今日、さらにしかりと申さねばばなりません。JCの存在価値は、青年そのものの価値にも似て、きわめて含み多いものといわねばなりれません。その探求なしにJCの性格目的を断ずることは悔いを千載にのこす結果となりましょう。   (三輪善兵衛,1957会頭)

 この文面からは、日本JCにおいて数年間、森下先輩のJC本質論が問題となり、合意を見ていないことがわかる。三輪氏は、森下・本質論を擁護しながらも、摩擦を押して強硬にその本質論を日本JC全体に浸透させるよりも、時間を掛けて考えようとしていたようである。そんな折も折、いわゆる経済人の概念にはまらない、文化人の代表たる人物が日本JCの会頭に就任した。千 宗室氏である。

……かかる時にこそ何々界と自らを狭く閉じこめるものもなく、経済人すなわち文化人、文化人すなわち経済人というがごときの幅の広い進展が生まれ、それによりわが国の将来ものびのびとしていくのではありますまいか。                (千宗室1959会頭,「JCに望むこと」)

これを、社会的には文化人を代表する立場を保ちながら、このような問題を抱えた組織のトップに就いたが為の微妙な発言と取るか、このような議論に私は参加しないという表明と取るか、森下・本質論に対する賛同ととるかは受け取る人によって感じ方が異なるかもしれない。この主張は、経済人とか文化人とかいう概念分類、レッテルづけに問題があることを指摘している。しかし、この議論は後に置くとして歴史を辿ってみたい。

JC運動の原則はLTを基とした個人の修練・社会への奉仕及び会員相互の親睦であるが、その中心となるのは経済活動であり、経済活動を通じて青年の組織体としての独自性をもって社会に働きかけねばならない。
                      (千 宗室1959会頭基本方針)

 千宗室氏の先の発言は、「JCに望むこと」という一文からの抜粋であった。そして後の発言は、会頭の基本方針として前年以来の経済重点の基本方針を継承して書かれたものである。ここに「JCは経済団体である」という、もう一方の主張の存在が伺える。
 森下 泰 先輩が会頭を務めてから6年後、再び大阪JCから会頭を輩出した。古市 実 先輩である。その所信にはこう記されている。

『経済活動を重視しよう』 われわれの運動は近代化された福祉社会をめざす運動であって、そのためには定款で許された範囲内で、政治的、経済的諸活動を行うことが当然必要とされています。JCメンバーは職業を問わないとされていますが、現代に生きるわれわれはその職業の区別を問わず経済から逃避することは許されません。その意味でわれわれは広く経済人と呼ばれるべきでありましょう。われわれ経済人は各界各層の指導者を網羅した新しい社会的責任を自覚した機関としてJCを組織しました。これは会員各自が自己の拡大意識を精神的な根幹とした実験的な経済団体と呼びますし、言い換えれば『JCは青年経済人の自己啓発の広場』である、ということです。現代社会において、経済が政治に先導されることは言をまたないところで、ちょうど『表があれば裏がある』相関関係になっています。したがってわれわれが経済活動を重視する場合には『国際的視野』に立った政治感覚が要求され、これが新しい日本を建設する独創的経済感覚の肥料としてわれわれを成長させるものであると信じます。そして、政治経済を研究し、積極的に青年経済人の声として発信することがJCの使命とする社会への奉仕であり、これらの運動の中に育まれるJCの仲間としての信頼こそ、真にわれわれが目的とする親睦の理想であると思います。」
 (古市 実会頭1962全国理事長会議挨拶「JC運動の行動方向について」)

 少し長い引用になったが、ここに森下先輩の純粋な「JC本質論」とは少し違った意味での大阪JCの考え方が示されている。それは、アンダーラインを引いた通り、「青年経済人」という概念を幅広く捉えよう、という提案である。

 少し、年月を端折るがその後十数年たってもこの根源的な問題に決着がみられたという記録はない。そして、その間、ずっと「経済発展」は大きな目的として存在し続けている。

"新しい経済発展の必要性の自覚" 『自立と連帯』の原則の上に、活力のある福祉国家の建設を促進し、国際社会に対する相応の責任を全うしつつ、豊かな市民文化を育てるというわが国の使命を果たすためには、経済の安定的発展が不可欠である。まさに、われわれに課せられた責任がそれである。
                     (田口義嘉寿 1976会頭所信)

 そして、ついに、「JCは青年経済人の団体なのだ」と断言する会頭が出現した。1978年度会頭の麻生太郎氏である。

われわれ青年会議所運動における情熱と力の源泉は"企業"にあると言えるが、その企業の存立基盤が急変する時代の波に洗われている。私は、優秀な青年会議所の会員は、企業でも優秀な経営者でなければならないと信じている。立派な企業経営をしている青年経済人が、その余力をもってボランティア活動である青年会議所運動に参加するのが、われわれ会員の本来の姿勢である。                     (麻生太郎 1978会頭)

 ここから読み取れるのは、「森下・JC本質論」に対する痛烈な否定である。森下先輩が、根源的には「修練」「社会への奉仕」「世界との友情」を信条とする社会各層の青年の団体、と規定し、発言してきたことに対して、麻生氏は「優秀な青年会議所の会員は、企業でも優秀な経営者でなければならないと信じている。」と自らの信念を示している。ここに書かれていることは、「企業で優秀な経営者でなければ、(仮にJCの会員であっても)優秀なJCの会員ではない」と読める。そして、JCは過去も現在も未来も、「青年経済人の団体であり、そうあり続けるべきだ」という主張であろう。
そして、この年、この会頭の信念を具現化する事業がはじまった。「第1回・青年経済人会議」である。

 以上の流れを示すことによって、本考察の全ての題材が出揃ったともいえる。が、以後の会頭の「青年経済人」あるいは「経済」に関する主な発言、記述を掲載しておく。

今や、日本は世界に誇り得る自由と経済的豊かさを国民が享受することを可能にした。しかしながら、高度産業社会の実現は、同時に、これを維持し発展させるため、さらに大きな課題へひきつがれなければならない。それは、物質的豊かさと精神的豊かさ、人間社会と自然、現代文化と伝統、人間の自立と連帯感がほどよく調和した理想社会の実現へ向けての挑戦ともいえよう。今、私たち日本人は、『経済の時代』を越えた『文化の時代』という視点を持ち、21世紀へ向かっての新しい国家像と人間像を求めていくべき時代にさしかかっている。          (黒川光博1982会頭,会頭所信)

自立した地域をつくるために、私たちは個別経営の枠を越えて、連帯し行動しなければなにらない。経済人としての哲学を『地域へのサービス』の姿勢の中に表現すべきである。       (榎本一彦1983会頭,会頭所信)

経済の成熟化にともない、社会主体のダイナミズムの衰えを防ぎ、問題解決能力の源泉である"活力"を失ってはならない。
                   (野津 喬 1985会頭,会頭所信)

"青年経済人としての資質の向上" 経済人としての資質向上は、それが正しい認識のもとに行われた場合、単に本人やその企業に貢献するだけでなく、それを通じて地域社会に貢献するものであり、またそうしなければならない。
                   (川越宏樹1988会頭,会頭所信)

 以上のように、それぞれ「経済」の重要性を認識しながらも、森下先輩の「JC本質論」と、麻生氏に代表される「JC青年経済人論」の間を微妙に揺れ続けながら、明確な自己規定を避けてきたようにも思える。もちろん、黒川氏ははっきりと『経済の時代』を越えた『文化の時代』という視点を持とうと発言しているし、川越氏は「経済人としての資質向上」を述べている。個々の会頭はそれぞれ「経済に対する姿勢」と「JCの自己規定」を示そうとしているが、森下先輩や、その対極に位置する麻生氏ほどの極端な論陣を張るには至っていない。もちろんこれは、対立を生む極端な論陣を張ること以上に、その両立を果たそうとする現実的な主張であったと言うべきかもしれない。

 このような歴史を経て、日本JCは40周年を迎えた。その間、JCに対する社会一般の認識は、比較的好意的なものでも、以下に代表されるのような認識で大きく変わらなかったのではないだろうか。

JCといえば『ふたり寄ったら車と女の子と新型携帯電話の自慢しかしない金持ちのぐうたら息子、つまりぼんぼんの集団』という先入観が定着していた。(略)確かに経済的に余裕のありそうな『二代目さん』が多いのだが(略)まさに次代の日本経済を担うリーダーとして必要な幅広い視野と国際社会から求められ始めた『良き企業市民』の精神を身につけるべく、厳しい修練の日々であるようだ。               (高市早苗1991)

 1991年に発刊された日本JCの40周年記念誌において、当時の正副会頭対談に次の一文がある。

JCが青年経済人の集まりであるという今の状態で行き続けるのか、あるいは今年問いかけたヤング・グローバル・ネットワーカーと言うか、若い地球市民の集まりになっていくのか、そこがこれから何年間かのJCの課題になってくるんじゃないかと思うんです。世間ではJCというのは中小企業の2代目、3代目の集まりで経済団体だという認識がありますけれども、まちづくりも実際に大きくやっているわけです。それを青年経済人の立場でやるのかどうか。そのためにやることは決まっていると思うんです。まちづくりデザイン会議やいろんな組織をつくって、JCに所属しつつ、その組織にも所属してその立場でやっていくというのであれば、青年経済人の団体として残っていっていいと思います。……略……若いグローバルシチズンというか、グローバル・ネットワーカーの集まりで、女性の方も入る、あるいは行政職員の方も入る、サラリーマンの方も入る。職業とか性別に関係なく、とにかく年齢だけが条件となる組織になっていくのが流れなのかなと思います。でも、創始の精神からすると経済団体であり続けたほうがいいのかなとか、僕自身も結論を出せないんです。       (上田 徹 1991副会頭,1991)

地域の青年会議所が、うちは経済団体指向だというと別の人は入れない。うちのLOMは女性は入れないんだと言うと、やはり入れません。そういうことがまずあるんで、地方分権化されている組織ゆえに拡大の問題は難しいところがあると思うんです。         (阪本勝義1991副会頭,1991)

 40年の歴史を持つ組織の副会頭たちが、組織の根本的な位置づけについて、「結論を出せない」とか、「問題は難しい」と発言をしていることを責めるつもりはなく、むしろ、このJCの自己規定、「JCは青年経済人の団体か否か」という問題の難しさを示すものとして引用したのである。
 この年、青年経済人会議が初めて東京を離れ、大阪・花博会場で開催された。そして、1993年、1978年の第1回より続いてきた「東京青年経済人会議」は、「東京会議」に名称変更され、さらに「サマーコンファレンス」と名を変えて現在に至っている。


5)考察

 前項が、今回調査した「青年経済人」というJCの自己規定に関する、概略の流れである。大阪JCは、ここに引用した1954 -56年度の森下 泰 先輩, 1962年度の古市 実 先輩のふたり以外に、1971年度の秋保盛一先輩,1981年度の 森 輝彦先輩,1989年度の更家悠介先輩と、併せて5名の会頭を輩出してきた。本来は、もう少し丁寧に調査を進め、それぞれのJC論、JCの自己規定について詳細に追いたいと思ったのであるが、それは次の機会としたい。
 ここまでの調査を基に、本考察のテーマをもう一度確認しておきたい。それは、
「JCは青年経済人の団体である」というテーゼ
「JCは青年経済人の団体ではない」というアンチテーゼ
の二律背反を解くことである。
 「JCは青年経済人の団体である」というテーゼを張るのは、日本JC設立当時の森下・本質論に対して抵抗した勢力、そして1978年度麻生会頭をその代表と捉えることができるだろう。
 そして「JCは青年経済人の団体ではない」というアンチテーゼを呈するのは、我らが大阪JCの森下 泰 であり、大阪JC本来の姿勢であると言えるのではないか。
 もちろん、大阪JC内部においても「JCは青年経済人の団体である」と信じているメンバーも多い。そして、大阪JC以外にも「JCは青年経済人の団体ではない」と、森下・本質論を主張するメンバーも少なくないと思われる。
 先に見た通り、組織を構成する会員比率からみれば、「JCは青年経済人の団体だ」というのは事実である。そして、千宗室氏や古市先輩が述べたように「青年経済人」の概念を経営者に限らない広い概念にとることも出来る。
 しかし、本来「経済人」という言葉は、「文化人」や「芸能人」などという用語と同様に、人々のよって立つジャンルから見た相対的な分類のための概念である。従って、古市先輩の、「現代に生きるわれわれはその職業の区別を問わず経済から逃避することは許されません。その意味でわれわれは広く経済人と呼ばれるべきでありましょう。」という発言は、当時の論争を収拾する意図において大いに努力しかつ工夫した新解釈ではあっても、論理的に自己規定する概念としては甚だ妥協的表現ではなかったかと思うのである。これを、森下先輩の「本質論」がもたらした混乱を大阪JCの責任として収拾しようとしたと受けとめるのは考え過ぎかもしれない。しかし、私はここに、古市先輩の言外の主張、つまり、我々は「青年経済人」ではなく単に「青年」と表現をすべきだ、という森下・本質論を支持する主張が込められていると読みとるのである。
 千宗室氏の「経済人すなわち文化人、文化人すなわち経済人というがごときの幅の広い進展が生まれ、それによりわが国の将来ものびのびとしていくのではありますまいか」という表現も、文章を疑問文としたことによって、自らに「経済人」というレッテルを張る無意味さを、さらりと皮肉っているとも解釈できる。
森 輝彦先輩(1978大阪JC理事長)の「スミレはスミレ」(同、所信)というたとえは、自己がどう規定しようが、他人が何と呼ぼうが「青年は青年」という意味であろう。組織の大多数が青年経済人であることは否定する必要のない事実である、ということでもある。その上で「それぞれの立場で精いっぱい花を咲かせよう」との主張だと受けとめられる。さらに森先輩は「エリートからの逃避はリーダーシップの否定である」として、組織というよりも、構成員たる個人が自らの使命としてリーダーシップを持つことをJCの自己規定として表現しているのだと思う。
 森 先輩の「スミレはスミレ」がたとえ「経済人は経済人」という意味を包含していたとしても、麻生氏の「JCは青年経済人の団体だ」という内外に対する宣言とはまったく異なっている。
 ここに、もう一度、大阪JCの設立当時における考え方をよく示している一文を示したい。これは、創立から3年目を迎え、森下先輩が第3代の理事長に就任する直前に書かれた「JCに対する世の批判に応ふ」という論説である。その中で森下先輩は、「坊ちゃんクラブである」という批判がある事に対して、「深い関心に基づかない座興的批判に我々は傾聴する必要はない」とも言いながら、次のように記している。

特に大阪JCは、その発足当初に於いて、斯様な批判を蒙ることなき理想的JCの創設に非常な努力を傾倒した。その試みは一応失敗に終わったけれど、吾々のその意図は依然として堅持されている。要は今後に於けるJCの理想的成長、乃至、それを築くべき吾々の努力の如何の問題に帰する。                     (森下 泰 第2年度会報)

 JCが45年目を迎えるいま、私がここに問題提起したかった事柄に対して、創立当時からその問題が提起されており、3年目にして既にその「解答」が記されているのである。
 私自身は、この回答を正しいと受けとめている。しかし、これは個人の意見に過ぎず、正しい答ではない、という会員がいるかもしれぬ。だからこそ、「JCは青年経済人の団体であるか否か」という問題に対して、事実の問題と理想としての自己規定というすれ違いの議論のまま放置することは許されない。今回の調査で見てきた先人の主張を理解した上で、大阪JCは、先人の名に恥じない青年の運動体であり続けることを宣言しなくてはならないと思うのである。


6)結論

 単に組織を構成している会員の比率から「JCが青年経済人を主体とする団体である」ということが事実であるとしても、「JCは青年経済人であることを自己の本質として規定する団体ではない」という本質論を"偽"として否定できるものではない。
 問題の設定を、もう少し厳密に、「JCは青年経済人の団体であるべきである」というテーゼと、「JCは青年経済人の団体であるべきではない」というアンチテーゼに書き直す必要がある。それは、「会員の構成」からして、少ない例外があるにせよ「青年経済人が主体となっている」という事実に関しては議論の余地はなく、「青年経済人」という概念が、本質的な意味で自己を規定するのかどうか、が問われているからである。(ここでいう「主体となる」とは単に「比率として大多数を占める」という意味でしかない。)

しかし、麻生氏の発言は、その本質においても「JCは青年経済人の団体なのだ(であるべきだ)」と主張しているようである。その意味において、ここに明かな対立がある。
この対立の根源は、森下先輩に代表される「大阪JC」のJC観と、その発足から理想まで経済団体であろうとした他のJCのJC観の相違にある。この対立は今も続いているのである。
いま私は、「大阪JC」設立の趣旨に戻り「吾人青年にして経済建設にたづさはる者、廣く社会各層にわたって同士相呼び相集り力を併せ、以て大阪青年会議所を眞にその名にふさはしからしめんと」しなくてはならないのだと感じている。逆説的にいうと大阪JCが「青年経済人」という相対的に他の立場の青年と異なる概念を自己規定に用いている限り、「真にその名にふさわし」くないと考えるのである。
たとえ日本JCが「青年経済人」を自己規定とし続けても、大阪JCだけはその自己規定を本質まで極めねばならないと思う。それが、森下・本質論を生んだ大阪JCの使命だと思うのである。ただ、悲しいのは、我らが大阪JCが誇り得べき森下先輩の「JC本質論」が、当のLOMでは死蔵に近い状態であり、むしろ日本JCで甦りつつあるということである。今、私は、一会員の立場では如何ともし難い大きな問題に対して、小さな石を投じたいと願っている。
初代徳永先輩の、「この使命達成の為には、広く社会全般の人々の理解と支持を必要とし、亦あらゆる層の有志有能な青年諸氏の積極的参加を不可欠の事と致します。」という初年度の挨拶、そして、設立趣意書の「廣く社会各層にわたって同士相呼び相集り力を併せ、以て大阪青年会議所を眞にその名にふさはしからしめんとする。」という誓い、そして森下先輩が対立を恐れずに主張し続けた「JC本質論」、これらに代表される大阪JCの主張を私は心に刻みたいと思う。
その森下先輩が第一に主張したのは、『若く知識ある青年の社会的責任の自覚こそJC運動の起点である』という自己規定である。そこには「知識ある青年」と記されており「経済人」などという相対的かつ狭い概念は微塵もない。そして、その「知識ある」という修飾も、自覚によって獲得していけるものとすれば、森下先輩の言わんとしたのは、

 『JC運動とは、青年がその社会的使命(責任)を自覚し、連帯してその達成をめざす運動である。』

という、見事にまで純化された青年の哲学なのである。そして、その「青年」という言葉すら、単純に年齢層を指すのではなく、その心意気を指すのだと理解するならば、ここにあるのはまさに「人間哲学」である。

『人間とは、自己がその使命(責任)を自覚し、主体性を拡大しつつ
その達成をめざす存在である。』

 これが、今回の考察を通して得た私の結論である。

 ここに至って、私は当初まったく予定していなかった別の大きな課題の解を得たように思う。JCの「三信条」の位置づけである。
 それは、この三信条の「奉仕・修練・友情」とは、個々バラバラのキーワードではなく、一体となってJC運動、さらには人間という存在の根幹を示すものであることの再確認である。すなわち、「奉仕&修練&友情」という加算式として異なった要素を並列するのではなく、また「奉仕or修練or友情」あるいは個々の言葉を不等号で結ぶという優先順位の選択の問題でもない。この三信条を「奉仕=修練=友情」と等号で結んで捉えてこそ、JC運動の根幹を示すのだということである。

 「修練」とは、社会的使命の自覚の過程であり、達成能力の向上をめざして連帯することである。そして、青年がこの自覚と向上心を持つことは社会的使命そのものである。
 「奉仕」とは、修練の実践であり、相互に仕えあうことである。そして、青年が修練を実践し、相互に仕えあうことは社会的使命そのものである。
 「友情」とは、個々の自覚と達成能力の獲得を切磋琢磨し、連帯することである。そしてそれは世界平和という社会的使命そのものである。

 これは「基本資料」にない私の新しい見解、というより、誰もが自明のことと理解していることかとも思う。しかし、この個人的な考察からこのような、予想外の結論を得たことをここに付記することとした。


7)おわりに

 この考察のための調査において、ある事に気づいた。それは「JC哲学」についての会員の意識である。設立以来ずっと、歴代理事長は自らの「JC哲学」を主張し、受け継ぎ、時代を超えて討論してきていたのである。ところが、高度成長を果たし、大阪JCも大きくなり、社会的責任が増すのと対象的に、その所信は「都市ビジョン」へと移行し、その哲学を全会員と共有しようとすることが希薄になってきたのではないか、ということである。もちろん、個々の歴代理事長を評価する資格が私にあるわけでもなく、そして、全員が熱い想いと英知をJC運動に捧げてきたことに心から尊敬するものである。しかし、このような調査をする機会を得て私が感じたのは、現在のJCにおける様々な苦労や問題、そのすべての根底にあるべき「JC哲学」を議論する場が少なくなっているということであった。
 考察にあたって、「青年経済人」を相対的概念、とは示したつもりであるが、それが「経営者,経営者たらんとする者」とイコールであるか否かという問題に触れることができなかった。また、森下先輩の本質論を、その根拠から明確にしたいという願いは叶えることができなかった。
 単なる個人的関心から、やや論文的に取り組みかけた考察であったが、結果として主観的かつ部分的な思考に終わってしまった。JCの自己規定という抽象的な概念のみに気をとられ、では具体的にどうするべきなのか、というところまで至らなかった。この仕事を自らの使命と感じて取り組んだが、いまだ満足できるものではない。名誉会員としての森下先輩を失った事の重大さを今ごろ気づき、その意志を何とか今後の大阪JCに残していきたいという欲求に駆られている。あと少し、こんなことに微力を尽くしてみたい、と思う次第である。





*このレポートは1996年、社団法人大阪青年会議所に所属していた際に記したものである。

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