Namie.

日々の気づきや自分哲学を発信していきます。3児の母。

Namie.

日々の気づきや自分哲学を発信していきます。3児の母。

最近の記事

家族の伝統

以前開講していたペアレントトレーニングの中に「家族の伝統」という項目がある。 連続講座の最後の日のものなのだけれど、その中でも好きな項目のひとつだ。 私たちは肉親であろうとなかろうと、「家族」の中で育つ。 その中で、年間行事などのイベント時をはじめ、日々の中での家族の決まりやルーティン(ルールにも近いけど、苦しかったりしんどいものではない)があると思う。 たとえば… ・クリスマスはホールケーキを食べる ・誕生日は家族揃ってレストランへ行く ・お正月は親戚のお家へ

    • 「自分」に迷うあなたへ

      どうやら、近頃うちの娘は「自分が何者であるか」を探ろうとしているようだ。 自分にどんな特性があるのか、 それはどこのどういう類に当てはまるのか… それを探ることは悪いことじゃない。 「自分を知りたい」 その疑問は、誰もが少なからず通る道のような気もするし、自分で自分に問いかけるのも必要なことなのかもしれない。 思春期の娘なら、そこに不安を覚えるのは当然だし、何かに当てはめておきたいという気持ちも理解できる。 ただ、かといって必ずしも、既存の概念に分類しなくてもいい

      • 「しんどい」と言える子、言えない子

        「うちの子、イジメられてたんだよね」 突然のママ友からのカミングアウトにさまざまな角度から胸が傷む… その小さな身体で、クラスメイトの突き刺さる言葉や態度に敏感に反応して、毎日寂しさや悲しみを抱えていたのだろうこと…。 その小さな胸の内に秘められていた必死のヘルプを聞いたママは、子の悲しみを想い、どうしてあげたらいいのかを時に泣きながら考えていたのだそう…。 その親子の姿を想像しただけで、息が詰まるほど苦しくなる。 その一方で…それ以上に気になったのが、イジメた側の

        • 目を背けてはいけない背景

          先日の杉山春さんの講演後、今まで目を背けていた事実をしっかり見ようと思って、11年前に起きた大阪二児置き去り事件のルポを読んだ。 小さな二つの魂に手を合わせるような思いで、1文字一句見逃さないように…心に刻みながら完読。 私はあの母親の友人でもないし、まったく知らない女性だけれど…それでも同じ母親としても、同性としても…その時その時の気持ちが理解できないでもなかった。 この女性もやはり「鬼母」ではなかった。 * 彼女は、当時のいわゆる「虐待児」には漏れた、一見そこそこ

        家族の伝統

          他者需要の自分

          自分という存在を自分では認められない時がある。 他者への価値、他者からの需要があって、私という存在があるのだ と感じる時。 本当はそんなことはないはずなんだ。 他者が必要としようが、しまいが、人が生きる上で、そんなことは関係ないはずだから。 それでも…… 他者からの承認があるからこそ、自己受容できるというのが人間なのかもしれない。 それが、親とか親友とか、自分の人生の中で大きな影響力を持つ人なら尚更… 認めてほしい 分かってほしい そういう欲が生まれてくる。

          他者需要の自分

          Are you a believer?

          人を疑うことが苦手だ。 というか、あんまりできない。 一度フィッシング詐欺的なものに引っかかったこともあるし、何十万もする健康器具を買ったこともある(20年ほど前の話)。 さすがに今は、エステや健康器具やフィッシング詐欺は気をつけるようにしてるけど、たぶん「疑うフィルター」の性能は相当低いタイプだと思う。 小心なのか、バカなのか… そういえば、かつて勤めていた会社の社長からも「人を疑うことを知った方がいい」と言われた。 無論… 「アホ

          Are you a believer?