性差は誤差 / 20200321

意地とかそういうのじゃなかった。確かに僕はあの時端末の充電コードで首を吊ったし、全てのものを、この世界最後の視界だと捉えてそれなりの覚悟を持っていた。電灯が明るかった。こんな夜なのに。あの夜と今夜の何処に差異があるかなんて分からない。午前の6時間と深夜の6時間の何処に差異があるかなんて。何処で生きていたって同じ。カーテンの外の景色が見えない以上は夜か朝かすら僕らには見分けられないんだしさ。僕って言う一人称は異質ですか?あの時の僕は僕という一人称が案外”嵌った”ことに気付かなかった。周囲の目ばかり気にして、周囲が違うと言えば僕は違うのだと思っていたし、今も多分根本は変わっていないけれど、異質な人も苦しいかもしれないけれど生きている現実に、僕も異質で居ていいのだと安心した。性差とか、本当は誤差なのかもしれないよ。きみらが、僕が思う以上に。どうしてそんな誤差程度のことで人は喚き、責め立て、苦しんでいるんだろう。性別学的性別と社会的性別と役割が全く違うものだって本当に当然のことが分かる人がこんなに少ないのは。僕も1年ほど調べまわってようやく自分の中に落とし込むことが出来たと思った。今まで性別を責められたことが無かったから、考えさせられることなんてなかった。この性別で不自然だと感じたことが無かった。意識したことなんてなかった。やっぱり僕はまたしても人から「そんな性別だから」と言われてしまうことで1年も時間を無駄にした。生まれてくるときに僕が性別を選んだとでも。でも選ぶタイミングが無かったからこそ、僕は今どちらでもない様に生きていることが出来る。男女の良い所どりをして好きな服を着て、好きなように振舞って、好きな一人称で生きることが出来る。僕って、僕でしょ?紛れもない、僕でしょ?

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