介入不可だって分かった時点から / 20191228

どうかどうかどうかどうか何処かの誰かのこと 公園の水道で何回も服を濡らしたこと 誰かの言葉に何度も袖を濡らしたこと 自ら血で濡らした。分からなくなっていた記憶が、突然頭の中で解読出来てしまって、咄嗟に、何の理性的判断も介入する間もなく死を意識すること。いつまでそうしている気なのか、記憶力の良さなのか、往生際の悪さ?いつまでも死に切らない未練、断ち切れない頸椎、愛しかったのかな、愛し、首の皮一枚で何年も繋がれたままで、いっそ、切ってしまえばそんな思いは。帰りたかった。私の意識はずっとそこにある。美しい造形、天井、円形、一つ像が足りなくて、指で数え数え探していたね。あの日が晴天で、出逢いだった。お終いにするつもりが、ずっとそうはならなくて、本当に悪いことをしたと思っているんです。唐突に、あのレポート出したかな、なんて。不安になることすらままならない僕のこと。笑ってくれないきみの乗りの悪さと、私の過ぎたおふざけが、薄い紙切れの上で、いつか塵になっていくんだよ。きみの肉体もいつか無くなって、骨になっても、好きだった思いは質量を持つ以上は、この世の何処かに浮遊しているのかな。帰郷したきみの表情何て計れない。駄目だったんだって悟るんだもの。この人生が何時からダメだったのかを考え始めて、早5年が経過しました。何も変われないまま。今更変わるのも嫌で、4歳のころからやり直したい思いでいっぱいです。歪んだ一面を持ちつつも、この一家のことが好きでした。きみと出逢えなければよかった。本当に。もう一度やり直させて下さい、飛び降りた先のアスファルトで、叶いもしない願いが血溜まりになってしまった。やり直し、やり直し、やり直し、綺麗な生き方、綺麗な死に方、全てが完璧じゃないから、やり直しです。早く持ち場に戻って下さい。もう限界です。

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