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怖くていい

【思考実験: とりあえずのまとめ】


やったこと:
恐怖や不安や不快感を感じたとき、そこにある恐怖や不安や不快感に「はい。わかりました」と言う。

一年以上やってみてのまとめ:

・「助けて」と言えない自分に気づいた。だから「助けて」と言える私になることを意図した。

: 私には「私が助けてもらえる」という世界観がなかった。
→困った時には助けが得られる世界に自分を連れて行くことにした。

困った時に助けてもらうには: 

①助けを求め、②助けを受け入れる必要がある。で、やってみた。

これをするには、かなりの勇気と信頼が必要。しかしながら、他の誰でもない自分のためにそれにコミットした。

まずは、それをした自分を阿闍梨餅で祝う。

で、かなりコストがかかった。
①助けを求める に、これまでも何度もトライしてきて、高いコストを払うことになって健やかさを損なう、みたいなことをずっと繰り返していることに、明確に気づいた。
まずがまず、「自分に必要な助け」を自分で明確に分かっている必要がある。

で、そのためには以下の二つが必須


①自分が助けを得たその先に、自分がどんな状態でいたいのかを予め具体的に分かっていること 

②「助けをくれる」と言ってくれた人から私が受け取っていることに対して、自分が何を感じ何を体験しているかを明確に分かること 

で、これらができるためには、自分を大切にする力が必要で、そのためには、
「自分を大切にする」って具体的にはどうするのか?
を知っていることが必要。

そんな訳で、その探求をした一年だった。

②助けを受け入れる。

必要な助けにたどり着いて、必要な助けを得て安心している時、私は怖くて不安で居心地が悪い。あまりにもサバイバルに慣れていて、安心することが怖い。怖いと感じている心に「はい、わかりました」と言う。
多分、「怖いんだね」みたいな方が自然なのだろうが、私はあまりに慣れていないので、多少余所余所しい「はい、わかりました」がしっくりくる。

怖くていいのだ。

怖いなら怖くていい。
そんなところに辿り着いて、少しだけホッとしている(そして落ち着かない)。

怖さがなくならなくていい。怖いと感じている自分の心ごと、私の全てを大切に生きる。


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