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傷つくということ

時々、生きていくことが面倒くさくなる。
私は人と関わり続けること、つながり続けることが上手くできない。きっと「普通」は「人と繋がり続けよう」と意図して願って努力するのではなくて、「自然な具合にいつの間にかつながっている」ところへ行き着くのかも、と思う。私はある時にぷつりと人との繋がりが切れる。「そこにいる人は私を知っている」と私が感じられるような、そんな繋がりに憧れ、私なりの努力をし、そしてある時ぷつりと繋がりが切れる。

何に傷ついたのかはよく分からないのだけど、やたら傷ついていることに気づいて、これ以上その人とつながりを続けたいとは思えない、となる。

そんなことを、つらつら考えている頭の右後ろの方では、昨日ふと出席した講座がきっかけで、自分の神経が疲弊し尽くしていることを思い出す。生きることにうんざりしながら、ああ、疲れたなあ。

私は自分の母に安らぎを感じたことがないのだけど、母も私に対して親密な感じや、安心など感じたことなどないのだろうな、と、思う。

生きることがしんどくてたまらない時、それでも死ぬまでは生きている。その死ぬまでは生きている自分を大切にする。息を深く吐いて、悪夢の中にいるような感覚があっても、そのまま息を吐く、私の身体が息を吐くのをそのまま、観察する。

大丈夫にならなくていい。
気分良くならなくていい。
ただ息を吐く。

生きることをやめられない惨めさがあるままでいい。
自分が傲慢なのではないかと疑うままでいい。
ただ息を吐く。

生きていたくないと思うほど寂しい、と感じている自分に、心いっぱい優しくある。
ただ息を吐く。


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