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3人のサインが入ったユニフォーム

吉田達磨さん(左上)、工藤壮人選手(左下)、北嶋秀朗さん(右下)のサイン入りユニフォーム

どうも、柏レイソルが大好きなAkalaと申します。

上の写真は、柏レイソルの2015ACLユニフォーム(No.9工藤壮人選手)で、2015年12月30日に3人の方からサインをもらったものです。
3人の方とは、吉田達磨さん(現 ヴァンフォーレ甲府 監督)、工藤壮人選手(現 テゲバジャーロ宮崎 選手)、北嶋秀朗さん(現 大宮アルディージャ ヘッドコーチ)です。

なぜ、12月30日にこの3人にサインをもらったか。
2015年12月30日のことを話すには、その前日のことから話さねばなりません。
2015年12月29日、柏レイソルは味の素スタジアムで浦和レッズと天皇杯準決勝を戦い0-1で敗れました。天皇杯敗退もショックでしたが、それよりもショックなことが起きました。

「工藤壮人選手、バンクーバー・ホワイトキャップスへの移籍合意」

当時の記事「柏が生んだストライカー・工藤壮人選手が海外に挑戦!」
天皇杯準決勝敗退直後(試合終了2時間後)の突然の発表でした。
当時の私のツイートを見るとショックで動揺しているのが分かります。
(もっとツイートしてましたが多いので一部だけ)

最後のは、フォロワーさんが私が工藤選手好きだと知っていたので、励ましのリプをくれていたんで、それに対するものです。「自負でも分からない状態」って何だよ。
とにかく動揺しましたが、翌日にファンサービスが行われると知り、バンクーバーに行ってしまう工藤選手に会うため日立台に行くことにしました。

2015年12月30日、柏レイソルは2015チーム最後の日で、日立台でミーティングをした後、ファンサービスが行われました。
私は、気持ちを落ち着かせるため行きつけの喫茶店ボブに寄り、カフェオレを飲んだ後、日立台に行きました。
前日の工藤選手の移籍発表もあり、多くの人が訪れていました。
私は、選手たちの写真を撮らせてもらいながら、工藤選手を待っていました。
そこへ吉田達磨監督が現れました。
吉田達磨監督は、工藤選手の柏レイソルアカデミー時代からの指導者で、強化部ダイレクターなどを歴任した後、2015年はトップチームの監督に就任しました。しかし、ACLベスト8、天皇杯ベスト4に進出するも、リーグ戦は第1ステージ14位と低迷し、その年での解任が発表されていました。今年の甲府とちょっと状況が似てるかも…。
私は吉田達磨監督と工藤選手の関係というか絆を知っていましたので、工藤選手のユニフォームにサインをもらいました。丁寧に対応してくれました。

吉田達磨監督とツーショット

そして、工藤選手が現れましたが、ファンサを待つ人で大人気でした。私もサインと日付の記入をお願いし、ツーショットを撮らせていただきました。

工藤選手―工藤ちゃんの笑顔に癒されたんだな…。
最後は、その場にいた皆さんでエキセントリック壮人のチャント合唱をして送り出したと記憶しています。

日立台を出た後、私は再び喫茶店ボブに行きました。
するとそこには、北嶋秀朗さんがいらっしゃいました。
というか、「いる」と思ってて行きました(キタジさんは常連中の常連客)。
北嶋秀朗さん―キタジさんに、工藤選手からサインをもらってきたことと、そこにキタジさんのサインを加えて欲しいとお願いすると快く書いてくれました。キタジさんのことは熊本まで追っかけていたので顔も名前も憶えられてました笑
キタジさんと工藤選手の関係は、レイソルファンならお判りでしょう。
キタジさんが付けていた9番を受け継いだのが工藤選手です。
吉田達磨監督とキタジさんも深い関係です。
吉田達磨監督が柏レイソルの監督を解任された翌年の2016年、アルビレックス新潟の監督に就任した際、キタジさんがコーチに就任しました。ボブのマスターによると、お二人は就任前にボブで長時間話し合ってたそうです。

北嶋秀朗さんと喫茶店ボブでツーショット

こうして、最初にお見せした「3人のサインが入ったユニフォーム」が完成しました。

実はこの話、恥ずかしながら工藤選手の体調についての発表を知るまで忘れていました。
いや、発表を知って直ぐに思い出した訳でもなく、ショックと工藤選手の回復を願い祈ってるうちに、「工藤ちゃんにサインもらったユニがあったはず…」などから徐々に思い出し、過去のツイートや写真を見て蘇った記憶です。
というのも、このユニフォームは、サインをもらって家に帰った後、「これはもったいなくて着れない…」「きちんと保管しておこう…」と、貴重品入れの奥にしまっていました。そのため、常時目にしていた訳ではなく、他のユニフォームとも別にしていたため、月日が経過するうちに記憶が薄くなり、7年経って忘れてしまっていました。

工藤選手のことは、バンクーバーに移籍した後もできるだけ情報を追っていましたが、1年で退団しサンフレッチェ広島に移籍したことがショックで、その後は積極的には試合を見たりしていませんでした。
再び気にするようになったのは、レノファ山口を退団し、海外クラブのトライアルを受けるも不合格になり、なかなか移籍先が決まらなかった頃です。
柏レイソルと提携している柏日体高校サッカー部の練習に工藤選手が参加するようになってから、柏レイソル関係者などから工藤選手の様子などを伝える情報が増えました。それで、工藤選手に関するツイートや記事を目にする機会が増え、気になってました。

その頃までの経緯や様子を土屋雅史さんが記事にしてくれています。
『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:ゴールと生きる(工藤壮人)

その後、ブリスベン・ロアーに加入となりましたが、1年経たないうちに契約解除となってしまいました。
それから半年ほど経った今年1月、テゲバジャーロ宮崎への加入となりました。嬉しかったです。
宮崎の試合はDAZNで見れるので、工藤選手が出てる試合を何試合か見ました。やはり、工藤選手にはゴールを決める姿がよく似合います。

そして、2022年10月18日、テゲバジャーロ宮崎より、工藤選手が水頭症で手術を受け、その後の療養中に容体が悪化し、ICUで治療中との発表がありました。
それからは、工藤選手の回復を願い祈って、居ても立っても居られず、工藤選手に関するツイートを追って、クラブや選手からの激励ツイートはリツイートといいねをしています。

私には祈ることぐらいしかできません。
それは、工藤選手のご友人やサッカー仲間であってもそうかもしれません。病気の方を直接救えるのは主治医や医療関係者で、闘ってるのは工藤選手ご本人です。
でも、工藤選手を案じる皆さんの想いはきっと工藤選手に届き、工藤選手の力になると思います。私はそう信じています。

工藤壮人選手の1日でも早い回復を願っています。

今は寝室に飾って願掛けしています

#待ってるぞクドー  

【追記】2022年10月23日
2022年10月21日22時30分、悲しくて辛い報せがありました。

多くの方の想いが叶わず、工藤壮人選手が32歳という若さで、帰らぬ人となってしまいました。
訃報を受けてからは、悲しみ、悔しさ、虚しさ、様々な感情が入り混じり、受け入れられず、落ち着かないため、ひたすらTwitterで工藤選手に関するツイートを見ていました。
見ると悲しみが増す、というのはありましたが、何も見ずに一人で悲しみに伏せるのは耐えられませんでした。
工藤選手の訃報に関するツイートは、初めは「嘘だろ」「信じられない」といったものがほとんどでしたが、徐々に工藤選手との思い出を語るものが増えていきました。
そのどれもが、工藤選手の人柄、人間性を讃えるものばかりでした。
サッカーにひたむきに取り組み、妥協せず、実直で、優しく謙虚な人なんだと、改めて分かりました。
だからこそ、何でこんなに素晴らしい人が、こんなにも早く亡くなってしまったのか、それを繰り返し思うばかりです。
本当に残念でなりません。

私は、工藤選手が柏レイソルにいたとき、北嶋秀朗さんに次いで好きな選手でした。北嶋秀朗さんの9番を受け継いだというのもありますが、何より工藤選手の“魂が震える”プレーや振る舞いが好きだからです。
巧い、凄いと思う選手は他にもいますが、プレーや振る舞いを見て“魂が震える”感動を覚える選手はごくわずかです。最近では、武藤雄樹選手にそれを感じ始めていますが、これまででは北嶋秀朗さんと工藤選手だけでした。私にとっては他の選手にないものを持っている選手でした。

それなのに、私は工藤選手がサンフレッチェ広島に移籍したことにショックを受け、そこからあまり工藤選手の試合を見なくなってしまいました。
バンクーバーホワイトキャップスを契約期間を残して1年で退団し、広島に移籍した後、『2017柏レイソル意見交換会』で、「工藤選手の広島加入の情報をつかんでいたのでしょうか?」という参加者の質問に、寺坂GMが「情報をつかんでいなかったという状況です。」と回答しており、「柏に何も言わず決めたのか。戻るつもりはないのか。」と勝手に解釈してしまったためです。
その後は、前述した通りです。

今更ですが、工藤選手が広島移籍した後のプレーもちゃんと見ておけば良かったです。テゲバジャーロ宮崎でのプレーは何試合か見ましたが、こんなに早くそのプレーが見れなくなるとは思ってもみませんでした。

工藤選手が柏レイソルを去るとき、ファンサービスでサインをもらった際に「これからも応援してください」と言われていました。なのにできなかった。
工藤選手の容体を知り、その言葉を思い出してからずっと後悔しています。

後悔しても過去には戻れませんので、祈ることしかできませんでしたが、工藤選手の状況を多くの方に知ってもらい、多くの祈りを届けたくて、Twitterでリツイートばかりしていました。それぐらいしかできませんでした。

本日、供養になればと思い、鎌倉に赴き、建長寺、明月院、円覚寺、長谷寺と巡り、各寺院で工藤選手のご冥福をお祈りしてきました。仏様に、49日が終わったら工藤選手の御霊を極楽浄土に連れて行って欲しいと願いました。

改めまして、工藤壮人選手のご冥福をお祈りいたします。

#ありがとうクドー

【追記】2022年11月6日
2022年11月5日、2022明治安田生命J1リーグ第34節(最終節)柏レイソルvs湘南ベルマーレの一戦が三協フロンテア柏スタジアムで行われました。

工藤選手の訃報から初の柏レイソルホームでの試合です。
私は、前述のユニフォームを着て観戦に行きました。

献花用のお花を増尾のお花屋さんで購入したのですが、店主と思しきおばあちゃんにこんなこと(下記ツイート)を聞かれました。おばあちゃんは柏レイソルのことは以前から知っていたようですが、工藤選手についてはニュースやお花を買いに来た人から聞いて知ったような様子でした。

黄色い花を入れてくださいとはお願いしましたが、包みについては考えが回っておらず、おばあちゃんが数ある包みの中から黄色を選んでくれた時に気付き、その心遣いに感動しました。電車で行くならとビニール袋にも入れてくれました。

スタジアムに隣接する人工芝コートに工藤選手の献花台が設置され、開場から試合終了後まで多くの方が献花に訪れていました。スタジアム外だったため、観戦チケットを持っていない方も献花可能でした。
人工芝コートは、柏レイソルアカデミーが使用しており、工藤選手がサッカー選手として育った場所でもあります。

開場30分後の献花台
試合終了後の献花台

私は入場後すぐに献花させて頂きました。
まだ、人は多くなく、ゆっくりと哀悼のお祈りをさせて頂きました。
飾られていた9番の2015ACLユニフォームを見て涙が出ました。

試合前、スタジアムの大型ビジョンで工藤選手の追悼スライドムービーが流れました。それを見て涙が止まりませんでした。工藤選手の訃報から一番泣きました。

その後、黙祷がありました。湘南ベルマーレの茨田陽生選手が泣いてました。茨田選手は、柏レイソルアカデミー卒の元柏レイソル所属選手で、工藤選手の1年後輩です。

試合内容と染谷悠太選手、大谷秀和選手の引退セレモニーについては、割愛させて頂きます。

工藤選手の訃報から2週間経ちましたが、悲しみが消えることはありません。でも前を向き、工藤選手の思い出を胸に、工藤選手が育ち愛した柏レイソルを応援して行きたいと思います。
工藤選手の魂はクラブや後輩たちに受け継がれていると信じて。

工藤壮人よ、永遠に。

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