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摂食障がいの克服71【摂食障がいへのアプローチ2。復讐心】

 摂食障がいになったことは、私自身、とっても悔しいです。

 テーマの2の前に1がまだまだ目の前に立ちふさがりました。

 全くずれた話ですが、その昔、『八日目の蝉』という映画がありました。(好きでDVDまで買った。原作の小説も読みました。)実話に基づくそうなのですが、奥さんのいる方を好きになった女性が妊娠する。今はまだ・・・と相手に言われて、諦める。二度と妊娠できなくなる。奥さんと彼の家につい、入ってしまったら、その二人の赤ちゃんを目にして、つい、さらって逃げてしまう。そのまま育てるんです、5才ぐらいまでだったかな。

 誰の目線から考えても悲劇です。
 奥様にとったら、待望の赤ちゃんが突然消える。愛人からしたら、二度と子供が産めないからだになる。子どもが一番悲劇。お母さんと思っていた人がお母さんじゃなかった。そして、元の家に戻る。

 その子ども目線のことば、『なんで私だったの』
 主人公のお友達のことばだったかなあ・・・『なんで、私だったの』(このお友達は、主人公同様、女性だけの世界で育てられて、男性が、今も怖い)

 摂食障がいだって、なんで私だったの。・・・事の重さは違えど、私も何度もそう思いました。

 大概の人は普通に食べてるよ。普通に食べすぎて悲しんでないよ。
 普通に食費に過食費用足してないよ。
 お客様とのお食事、全然うれしくない。一人で家に帰ってひとりで食べてるほうが、まだまし。

 でも、普通に『ランチ』ってことばつかってみたいよ、なんでお昼ヨーグルト一個しか許可できないんだろ、なんで、チーズひとつハードル超えないと食べられないんだろ。

 なんで、きれいに食べられない?過食になると、たくさんお弁当かってきて、全部食べられないから少しずつ食べて、何浪費してるの。

 朝おきて、パンの袋が破かれて、なんで、それ、きれいにきれなかった?

 なんで、それが私なの。

 そう思うんです。

 摂食障がいを治すときには、何かを恨んでもいいんだそうです。

 あ、治っていく仲間を恨む、だったかなあ。これは、あやさんのファンだった、かなブロさんで読みました。

 泣いて、泣いて、治っていく仲間を恨んで恨んで、

 仲間を恨むより、ここまで苦しめた色々恨んでもいいかも。

 でも・・・・・・・

 でも、いつも思う。摂食障がいは復讐じゃない。

 なぜなら、私たちが過食しても、拒食しても、
 誰の心も傷んでない。みんな、いつもどおり、毎日を送っているから。

 なので、復讐が成立しない。
 私のことそれだけ傷つけるんなら、私過食するから!

 ・・・これ、結果傷ついてるのは私なんですよね。

 なんて辛いんだろう、摂食障がい。

 だから、だからこそ治したいし、テーマ2の生きていくための家計管理と資産運用を考えたいんです。悲しいまま、終わりたくない。

 実は、また息子の絵を描いてしまいましたー・・・

 牛乳が好きだった息子。朝起きたら、ぷーさんのテーブルにがーってのぼってきて、牛乳を待つんです。笑

 電車も大好きで、毎日電車の時速の話をして過ごしました笑
 のぞみは速いねえ・・・ひかりは・・・
 なんて、友達みたいに電車の話して。

 かわいいんですよ。ぎゅうにゅう、おいしい?っていっつも聞いてたら、ぎゅうにゅう、おいしい?ってクエスチョン系で、言ってくる。

 おいしい?っていう意味で、『どうですか?』って、ご飯作って、聞いてみたら、『どう』ですか、って聞かれたと思ったらしくて、『どう!』って答えてきたり。笑

 長々と申し訳ないです。テーマ2も書きたいことなので、もしよろしければ、またよろしくお願いいたします。

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