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トリコロールの海辺の服も二度と着る事は無い~September~

今年の9月は少なく見積もってもいつもの半年分くらいの出来事が僕の身に起こった。
9/2に祖父が亡くなり
9/8にコロナ陽性で5日出勤できず
9/15に再び帰省
短い期間の間に東京と約1000キロ離れた鹿児島の離島を2往復して、
その間にコロナになるなんてなかなかないことだろう。

祖父のお葬式に参列しながら、目の前にいる父のお葬式を想像してしまっていた。
だいぶ元気そうに見えるけど5年後とかの話ではないだろう。

父は今年の3月にがんが見つかった。すでに進行したがんだった。
急激にやせ細り、かなり危ない状況だったようだ。
孫を見せるために頻繁にテレビ電話をしていた兄は
前から異変に気が付いていて受診をすすめていたと言う。
幸い受診後は処置のおかげで状態は見違えるほど良くなった。

元気な時に会える最後の機会になるかもしれないからと
ゴールデンウィークに帰省した。父は思ったより元気そうだった。

でも、近くに立った時に肩に手を置いて頼るようなそぶりを見せて、
そんなことする人じゃなかったから、すごく悲しくて、
そして、よく考えてから少しだけうれしく感じた。
もう一歩身体を寄せた。意外と温かい掌だった。
その温度は忘れないと思った。

夏の休暇は取りやめて、9月に帰省することにした。
その直前に急遽祖父のお葬式があって9月は
30日中の6日間 両親のそばに居られた。
こんなことは実家を出てからはずっとなかった。
祖父との別れは悲しかったけど、
思いがけず両親との時間をプレゼントしてくれた。

がんと停戦協定を結んだかのように、父は春よりも元気だった。
今回はいつもなら絶対やらない畑仕事も一緒にやってみた。
お揃いの作業着を貸してもらって長靴まではいて。
スーパーに掲示してある契約農家の人みたいだった。

次の秋冬の畑のことは細々と話すのに
来年の夏に収穫するフルーツの話になると何となくぼやかして話すのが悲しかった。
でも、時間をかけて成長し、収穫できるものを育てることは
先の希望を持つことだと思うし、きっと父を支えているんだと思う。

父は大らかで優しい人間だと思う。でも少しだらしない。
自分では検査結果すら見ていないらしいし、
いくら頼んでも禁煙もしてくれない。
反対に母はきっちりしていて少し窮屈なタイプだ。
いつも自分は二の次で周りの人のことばかり気にしている。
そんな母が手取り足取り面倒を見ている。
今の父は時間ごとに飲む薬が決まっていて、早起きもしなくてはならない。
放っておけば薬もキチンと時間通りには飲むことはできないはずだ。

8時に朝食なら、6時に飲まなければならない薬を飲む姿は闘病だなと感じた。
母に促されてのっそり起きだし、目を閉じながら湯呑を握りしめていた。

かつて、気楽な高血圧の薬の時は、
食後すぐに「薬飲んだの?」とやや強めの口調で父に問いかける母を内心うるさいなーと思ったりしていた。
今、その母は少し優しい口調で、でも切実さをもって父の闘病を支えている。

今回の帰省では何度泣きそうになったか・・・
目の前で思い切り泣けたら気が晴れるのだろうか。
帰りの飛行機が島を離陸して遠ざかる様子を見ながら
初めて顔を覆って泣くことができた。

September 竹内まりやの曲をどうしても思い出してしまう9月が終わる。