見出し画像

共感を欲している

今日(日付変わったけど)は東中野のplatform3さんのイベントにオンラインで参加しました。

お店のInstagram ⇒ https://www.instagram.com/plat_form3/

*****

<イベント概要>

Instagram(@plat_form3)より

「友達が書いた本、友達がはじめた本屋」
小沼さんと以前から親交のあるplatform3のメンバーが、『共感と距離感の練習』について、著者を交えてお話しします。

共感と距離感の練習 / 小沼 理
https://qpptokyo.com/items/663b12e59fb102002b73ef74

友達っていいなー。
オンラインで発言する勇気はありませんでしたが、
そのまま終わりにしたくなくて、感想を書いて消し。書いて消し…。2時間以上過ぎました。

*****

僕は、20代半ばあたりから、誰との間にでも「わかるかも」を見つけて、そこを頼りに人間関係を築いてきました。
すぐに切り捨てず、希望をもって接する。それがいいと思っていたし、疑問に思うことはありませんでした。
でも今はちょっと揺らいでいます。

今の僕は距離の縮まらない人間関係が増えていく一方で、近くにはあまり人がいません。
「本音を全部言えばいい」なんて簡単なことではないと思うけど、思っていることを言えない・・・言わなくなっていることは事実です。
ひとりの時間は内省的になりがちで、それが自分らしいと思うけど、ちょっと苦しく感じる時も増えてきました。
あっちを立てれば、こっちが立たん・・・みたいな感じでXのポストも何回も書き直して。
Instagramも写真を選んでコメントまで書いたのに「これ誰が興味あるのかな」とか思い始めて結局投稿するのを辞めたり。
ちょっとまずいレベルになってきていると思います。

一方、20代の頃の僕がネット上にあげていた日記はなかなかひどかったと思います。
彼氏とのケンカの場外乱闘に、読者を味方つけて慰めのコメントをもらったり。笑
その結果別れて1か月失恋のポエムを書きづづけたと思えば、あっさり次に出会った人のことを「運命的だと思った」とか書いてしまう。苦笑
でも、当時はそれらをひっくるめて自分に興味を持って仲良くしてくれる人がいたことが心強かったです。今じゃ考えられないなあ。

45歳の自分がやっても痛くない方法で、肩の力を抜いた無防備な自分が出せる場所を作りたいと思っています。