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波子のこと。

波子は40歳。東京生まれ東京育ち。なんなら両親も東京生まれ東京育ち。だから田舎はない。小学生のころ夏休みになると友達が佐渡のおばあちゃんちに行ったとか、山形のおじいちゃんからおこづいかいもらったとか聞いても全然ピンと来なかった。お父さんは同じ地元、お母さんの実家は横浜って子はなんかちょっと親近感あったけど、それでも横浜は神奈川県。

波子は03から始まる電話番号にもこだわっていた。つまりそれは東京23区。そして、東の方は遠い感じ。波子は東京生まれ東京育ちの自分がかっこいいと思ってたし、自分の強みとすら思っていた。成城に住んでる先輩が「波子はどこに住んでるの?」と聞いてきたので「山手線の内側です」と言うと「自分の住んでるあたりを山の手と言うのでは」とごちゃごちゃ言うわけ。「でも成城は山手線の外側か内側かで言えば外側ですよね」と大人気ない対応をしました。どっちもこじらせたTOKYOプライド。

が。別の先輩が「自分は東京生まれ東京育ち東京在住(いずれも山手線内)で他の土地で暮らしたことがないことが弱いところ」だと言ってて心底驚いた。弱み?弱みなの?正確に言えば大学時代1ヶ月半だけ留学したけど、まぁ1.5ヶ月/40年=0.3125%はよくできた腕時計では計るもんじゃないくらいの誤差の範囲なのか。とにかく衝撃だった。

どうして波子は大学受験の時に地方の大学を選択肢に入れなかったのか。

波子は一人っ子です。両親は共働きで、自営業で働くお母さんを除くとクラスには働くママは片手で足りるくらいの数だった。これはもちろん東京以外では状況が違うかもしれない。ただ小中高大と進んでも劇的にその数が増えることはなかった。当たり前だ。親の世代はある一定のゾーンの中にしかないんだから。年齢が上がれば上がるほど女性の有職率は低くなる。

波子のママ、海子、はいわゆるキャリアウーマンで、波子は2ヶ月からベビーシッターに預けられていましたの。当時は産休はあっても今じゃ男性も育休をマストに的な世の中では信じられないくらいだけど、育休なんてなかったようなことを言ってました。海子は外資系企業にお勤めだったので、尚更、すぐに戻らないといけなかったんでしょうね。こんな話は今と変わらない感じがするけど。早く戻らないとポジションが、という。でも今は保育園問題の方が大きいんですかね。

海子は波子を抱えて何人もシッターさんの面接をして最終的には海子の母、米子と同じくらいの歳のベテランシッター緒方先生に決めることに。決め手は「信じられそうだったから」って。え。え。え。フィーリング。そういうことですかね。正確に言うと緒方先生は家に来てくれるわけではなく、今で言う「保育ママ」さんのようなもので、自宅で3、4人の子どもを預かっていた。波子は4歳になる直前まで緒方先生のところに通っていたの、今でもそのマンションの部屋のことを思い出すことができる。ときどき緒方先生の娘さんも手伝いに来る。




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