衝撃的な事実を知る

特別支援学級の教師をしていた
親戚の方にメールを送り電話番号を教えて
ほしいといわれてわざわざ電話を頂きました
私が疑問に思っている事があったから
聞きたいこと事の話をしたら解消されて
良かったんだんだけど新たな新事実を知る
ことになりどんな事を聞いても泣かないと
決めていたけどあまりにもショックで
泣きました

私は本来、小学校1年生から今の時代でいう
【特別支援学級】に行くはずでした

小学校の入学前の検査の結果で
特別支援学級へ行く話が出ていました
父親が私に障害である事を認めなかったし
私が特別支援学級へ行ったら妹がいじめに
あうと思ったみたいです

あの時に父が認めていたら私がこんなに苦労しなくて済んだのにおばさんの話を聞きながら悔しさやら怒りやらで涙がボロボロと流れました
昭和生まれの方なら時代背景が想像
出来るかと思います

父親は昔のThe昭和の人なので世間体も
あったと思うし
娘を障害者だと思いたくはなかったんでしょうね
私は苦しみました37年間【軽度知的障害】と診断が降りて療育手帳を取得するまで

改で大人になり療育手帳の取得が難しいと思いました
おばさんも療育手帳が取れて良かったねと
言ってくれたし
大人になると療育手帳の取得は難しいと話をしていたからね
18歳までに軽度知的障害である
証明って難しいので

更に亡くなった母親の衝撃的な事実も知りました
おばさんに聞いた話だと母親も私と同じで
幼少期はおとなしく泣かない子だったそう
です
私の様子を見て周りが心配して周りの人が
母方のおばぁちゃんに母親の幼少期を
聞いたようです
おばぁちゃんは母親を41歳で出産していますつまり高齢出産になります

母親の家庭環境的には5人兄弟で
家計的にも厳しくておばぁちゃんが
農作業しながら母親を籠に入れて育児の世話をしていたんだとか時代的に母親にかまっている余裕はなかったんだと
愛情を受けずに母親は育ったのではないのと

おばさんの話によると私がおとなしく
泣きもしなかった子だったから父方の
おばぁちゃんが心配して自宅を見にきて
くれた時に母親は育児放棄の手前だったみたいです
私に対して話しかけなければ抱っこも
しなかったんだとか

父親はパチンコ好きで子供に無関心だっから母親がワンオペ状態だった思う
仕事人間て言えば聞こえは良いけど
もし、母親が【軽度知的障害】だとして
育児をしていたらどんだけ大変だったんだろうなぁと自分が軽度知的障害だから
母親の置かれている状況を考えたら
辛く悲しい
一般の母親なら初めての育児でも
話だかけたり抱っこくらいはする
いくら、ネットが普及していない時代でも
周りに助けを求めたりするは
母親はどう、助けを求めたら良いのか
分からなかったんだろうね
父親は役に立たなかったしワンオペ育児だった想像したら