無職転生作者ANNインタビュー翻訳

以下は2021年12月15日にANIME NEWS NETWORKに掲載された、Kim Morrissyによる『無職転生』原作者理不尽な孫の手先生のインタビュー記事を翻訳したものです。(元記事:https://www.animenewsnetwork.com/interview/2021-12-15/mushoku-tensei-jobless-reincarnation-author-rifujin-na-magonote/.180566  )

『無職転生』は、『小説家になろう』で連載されたウェブ小説の中で、最も人気のある作品の一つです。今年初めにはテレビアニメ化もされ、壮大な物語が最初から描かれています。今回のANNインタビューでは、原作者の理不尽な孫の手先生が、小説の執筆を振り返りながら、この作品の特徴的なテーマについて語ってくれました。

Q.2012年にWeb版『無職転生』の執筆を始められ、それから10年近く経ってからアニメ化されましたね。アニメに携わることで、原作に対する印象は変わりましたか?

理不尽な孫の手先生:アニメと小説は別物なので、原作に対する印象は変わっていません。そうでしょう?アニメがどんなに素晴らしく、洗練されていても、原作が良くなるわけではありません。逆に、目をそむけたくなるようなひどいアニメでも、原作が悪くなるわけではありません。

Q.『無職転生』は、なろう系ライトノベルの「パイオニア」と呼ばれることもありますね。このように呼ばれることをどのように感じていますか?

理不尽な孫の手先生:光栄なことですが、間違っている気もします。私が『小説家になろう』で書き始めたときから、私の作品は『小説家になろう』の影響を強く受けていたので、私から見ると、私の前にはたくさんの先駆者がいるんです。

Q.『無職転生』が賛否両論を呼んでいる最たる点として、ルーデウスが人として最低の所から物語が始まっている、ということがあります。今振り返ってみて、「ちょっと大げさだったかも」「もう少し抑えればよかったかも」と思うことはありますか?それとも、伝えたい物語としてバランスが取れていたと思いますか?

理不尽な孫の手先生:バランスはよかったと思います。賛否両論あるキャラクターだからこそ、山ほどある後悔が、人生をやり直すという行為に意味を持たせているのだと思います。

もちろん、冒頭の段階でルーデウスを批判するのは問題ないですし、それで物語を見たくないというのは、皆さんの判断次第です。とはいえ、もし身近にルーデウスのような人がいて、その人が少しでも心変わりしてやり直そうとするならば、その場で見捨てないでほしいと切に願いますね。

Q.『無職転生』は、脇役も含めて登場人物の性生活が比較的大きなテーマになっています。一般的に受け入れがたい性的行為も、世界の一部として描かれることが多いです。このような視点の物語を作ろうと思われたきっかけは何ですか?

理不尽な孫の手先生:日本の創作物で性生活が描かれている場合、二つの真逆の扱われ方がとられます。"神聖"として扱うか、 "快楽 "として扱うかです。私がこの作品を作るきっかけとなったのは、「生殖活動は生物にとって自然なことである」という視点の表現が少ないと思ったからでしょう。

生物の本能の中で、「食べたい」という衝動と並べて考えても、「繁殖したい」という衝動が一番強いと思うんです。ほとんどの生物は、子孫を残したいという自然な欲求に駆られて生きていくのが一般的でしょう。それは必然的に性行為と密接に関係している。基本的に、生き物として自然で大切なことなのです。

生物として大切なことだから、神聖なものというのは間違いではないでしょう。しかし、セックスが快楽と結びついていることも事実です。セックスに快楽が絡んでいる以上、人がセックスを快楽として扱うのは自然なことだとも言えるでしょう。そういう意味で、『無職転生』の世界を描くにあたっては、"神聖 "と "快楽 "の中間を狙いました。そういう雰囲気を目指していました。

ちなみに、物語の序盤を書くにあたって、ルーデウスがセックスを"快楽"としてとらえているということを強調しました。前世で経験がないため、快楽の側面しか触れていないのですから、当然といえば当然なのですが。その結果、快楽的な側面を強く感じる人が多いのかもしれません。でも、それは当たり前のことで、神聖なものをみんなの目に触れるように放送することはないのです。

Q.『無職転生』は、ルーデウスの視点で描かれていますが、他にも "主人公 "になりうる登場人物がいる物語だとも感じています。もし、他のキャラクターの視点で物語が語られるとしたら、誰を選びますか?

理不尽な孫の手先生:ノルンかな。どのキャラクターにもそれぞれの物語があると思うのですが、些細なことを重要なこととして扱うキャラクターとして面白いのではないかと思います。

Q.時の流れの中で、自分が作家としてどれだけ変化したと思いますか?また、『無職転生』と最近の作品との間に大きな違いはありますか?

理不尽な孫の手先生:あまり変わっていない気がします。ただ、最近は褒められると「ちゃんとしたものを書かなきゃ」という強迫観念に駆られることが多く、書くスピードが遅くなりました。

Q.格闘ゲームが先生の人生観に多大な影響を与えたということをよくお話になっていると思います。しかしこのことは英語圏ではあまり知られていないようです。格闘ゲームとご自身の関係、そして執筆への影響について教えてください。

理不尽な孫の手先生:格闘ゲームを始めたのは18歳頃です。当時は人と接することがあまり得意ではなかったんです。格闘ゲームは人と対戦するものなので、ゲームセンターで格闘ゲームを始めたことで、本名もわからないまま人と接するようになりました。年上の人が多かったです。その人たちのおかげでコミュニケーションやマナーを学ぶことができました。

でも、「こうしなさい」「ああしなさい」と言葉で教えてくれるわけではありません。かっこ良いと思った人を真似て、かっこ悪いと思った人や頻繁に問題を起こす人のやっていることはやらないようにしました。つまり、基本的に人間がどこかで身につけている常識的なことが、20歳くらいのときにゲームセンターでやっと身についたんです。要するに、格闘ゲームは、最低限の基準を満たす方法を教えてくれたんです。

それが僕の文章にどう影響したかというと、上に書いたことのほかにもうひとつあるんです。自分なりに格闘ゲームに取り組んでいたのですが、ある段階から "もう限界だ "と思うようになったんです。言い方を変えれば、"ここで十分だな "と思ったんです。

日本の競技水準からすると、私は中堅どころに位置するのですが、地元では一番強かったんです。でも、今以上に強くなれない、ということはないことも実はわかっていたんです。例えば、地元を離れて、自分より強い人たちに挑戦することもできたはずだ。それがわかっていながら、挫折を味わうのが嫌で、逃げていたんです。本当は、もっと強くなりたいと思っていたのに。

その悔しさが、『無敵転生』を書くときの支えになったんです。特に辛いときは、「ここで挫折したら、あのときと同じだ」と思っていました。それで自分を奮い立たせることができたんです。

その結果、Web版『無職転生』を最後まで書ききることができました。格闘ゲームの経験がなかったら、もっと早い段階で満足してしまい、辛くなったら書くことから逃げていたかもしれません。もちろん、ランキング1位にもなれなかったと思いますし、アニメ化もされなかったと思います。

Q.現在も『小説家になろう』の他の作品には目を通されているのでしょうか?また、おすすめの作品はありますか?

理不尽な孫の手先生:積極的に追いかけているわけではないのですが、時間があるときに、おすすめされた作品をちょこちょこ見ています。

私のおすすめをいくつか紹介します。

『俺にはこの暗がりが心地よかった』『弱小領地の生存戦略! ~俺の領地が何度繰り返しても滅亡するんだけど。これ、どうしたら助かりますか?~』『嘆きの亡霊は引退したい 〜最弱ハンターは英雄の夢を見る〜』

Q.小説家、ウェブ小説家を目指す人へのアドバイスをお願いします。

理不尽な孫の手先生:すぐに書き始めて、Webに投稿してほしいです。


以上は2021年12月15日にANIME NEWS NETWORKに掲載された、Kim Morrissyによる『無職転生』原作者理不尽な孫の手先生のインタビュー記事をDeepL で大筋を翻訳し、手直しを加えたものです。(元記事:https://www.animenewsnetwork.com/interview/2021-12-15/mushoku-tensei-jobless-reincarnation-author-rifujin-na-magonote/.180566  )

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