肌へ

わたしは今大学で身体変工、主にタトゥーについて勉強している。学び始めてからタトゥーの基本とも言える皮膚に強く関心を持つようになった。
今日は皮膚と肌の違いについて考えた。今読んでいる本によると、皮膚は生理学的な記述をする際に多く使われ、肌は主観や評価を伴う際に使われることが多いらしい。皮膚は皮のような骨ばった感じがするが、肌は肉感がある。そんな感じがする。

自分の身体の中で肌が一番愛おしい。肌はわたしを形作ってくれるし、外の世界を伝えてくれる。内と外の最前線だ。時々自分の存在が物理的に分からなくなる時がある。わたしがどのような状態で存在しているのか、大きな”わたし”という身体の括りを見失ってしまう時がある。そんなときは、肌に接しているアクセサリーと衣服の揺らぎや肌に当たる風の強弱を意識する。すると、だんだんわたしのかたちがまとまっていく。タトゥーをいれたり、ケガをしたり、身体が痛みを感じるときもわたしのかたちがきゅっとまとまっていくように感じる。だからわたしは痛みを求めているんだと思う。

この文章も然り、わたしの周りの世界は抽象度がどんどんあがっていっているように思う。このままどんどん抽象に向かって、わたしはぐにゃぐにゃになってしまうのかなと脳みそが言ったりする。そうすると肌は、わたしはしっかり外に向かって感覚を開いているよ言ってくれる。抽象と具象のバランスが取れていく。たぶん、それがわたしなりのこころと身体のバランスを取る方法なんだと思う。

今日は思考があちこちに行ってまとまりがなくなってしまった。そういう日もある。おやすみなさい。

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